■「他国を説得できる力を持つ国家に」
小和田氏は会見のなかで、世界が未曾有の危機に瀕していることに警鐘を鳴らしたのだ。
「語り口調は静かで冷静でしたが、その内容は“演説”ともいうべき激しく熱いものでした。
会見のなかで、小和田氏は超大国の大統領たちを批判したのです。
『(第三次世界)大戦を起こさないためには、核兵器の使用は世界の死滅になるとプーチン(大統領)にいかにわからせるかだ。第二次大戦が(ナチスへの)宥和から始まったように、プーチンに妥協していたら限りがない』といったことも語っています。
さらに、トランプ大統領の手法も批判し、大統領が強硬に推し進めている各国への関税引き上げについても、“国際秩序への挑戦”と表現したのです。
小和田氏は日本の役割については、“他国を説得できる力を持った国家になることがいちばん大事”とし、プーチン大統領との駆け引きを許さないよう、トランプ大統領を日本と欧州が協力して支えるべきで、“外交の力で世界大戦を阻止すべき”といった内容を主張しました。
戦後、さまざまな局面でアメリカの顔色をうかがい続けてきた日本の外務省ですが、そのトップだった小和田氏が、トランプ大統領さえも臆せずに批判したことに、記者たちも驚いていたそうです」(前出・皇室担当記者)
長年皇室番組を手がけている放送作家・つげのり子さんは、小和田氏の“日本が世界平和に貢献するための演説”について、次のように語る。
「今回の会見の動画を私も拝見しました。小和田恆さんは90歳を超えられたとあって、以前に比べて外見はお年を召されたようでしたが、その明晰ぶりや、いまも世界情勢に目を配り、深い洞察力をもって、お話ししていた様子が印象的でした。
外交の最前線について、記者クラブの皆さんに元気に話されている小和田さんのご様子を見て、雅子さまもほっとされているのではないでしょうか」
日本が太平洋戦争に敗戦した当時、小和田氏は12歳。その人生を、平和と秩序の実現のために費やしてきたという。
「70年前の’55年に外務省に入省し、妻・優美子さんとの間に3女をもうけました。東京で生まれた雅子さまですが、恆さんの転勤や、ご自身の留学にともなって、旧ソ連・米国・英国と、10回以上も引っ越しを繰り返されたのです。
『そうした自分の生い立ち、経験を生かし、日本および国際社会に貢献できるような仕事を』と、外交官を志されましたが、もちろん父・恆さんから強く影響を受けられていたのです。そんな“尊敬する外交官”だったお父さまの健在ぶりは、雅子さまにとって何よりも喜ばしいことだったと思います」(前出・皇室担当記者)
雅子さまが受けられた“父からの影響”について、前出のつげさんはこう続ける。
「特に海外からの賓客を迎えられた後に、話題になるのが雅子さまの語学力です。通訳を介さずに、お相手とお話しできますが、それによりお互いに心と心を通わせての交流が可能になります。
これも幼いころから国際人となるための薫陶を、小和田さんから受けられていたからと思います。雅子さまが22歳のとき、外交官試験に合格された際に、テレビ東京がインタビューしています。
そのなかで雅子さまは、『世界のなかで、日本がどういった役割を果たしていけるのか、世界の繁栄、平和のために何をしていかなくてはいけないのか考えていく時期に来ている』と話されていたのです。
それから40年、いまも雅子さまは“皇后として何をしていかなくてはいけないのか”、自問自答を続けられているのでしょう」
ウクライナでの戦争やイスラエルによるガザ侵攻で、大勢の老若男女が犠牲となり、世界が自国第一主義に覆われている。
小和田氏も会見で強調していた世界大戦の阻止は、原則的に政治的発言や活動ができない天皇陛下や雅子さまにとっても、最重要課題であることは間違いない。
