旧宮内庁長官公邸で生活されている信子さま /(C)JMPA 画像を見る

三笠宮妃百合子さまが101歳で薨去されてから、11月15日で一年が経った。当主不在となった三笠宮家では、今年9月に開かれた皇室経済会議で、彬子さまが三笠宮家の当主として祭祀を継承されることが決定。信子さまは「三笠宮寬仁親王妃家」を創設して当主になられる形でまとまったが、百合子さまが薨去された後も母娘間に“雪解け”が訪れることはなかった。

 

母・信子さま、彬子さまと瑶子さま姉妹の間に深い溝が生まれたのは、20年以上も前にさかのぼる。

 

「信子さまは’04年春に“病気療養”という理由で寬仁親王邸(現・三笠宮東邸)を出られましたが、寬仁さまのアルコール依存症の治療方針を巡る対立や、殿下による家庭内暴力が原因だったと報じられています。

 

ご夫妻の別居生活は、寬仁さまを心の底から敬愛されていたお嬢さま方との関係に亀裂を生じさせてしまうことに。結局、寬仁さまが’12年に薨去された後も、信子さまが宮邸に戻られることはありませんでした。

 

最近では彬子さまのメディア出演が増えていますが、テレビやラジオで信子さまの話題を出されることはありません。ここ数年は彬子さまと瑶子さまの間でもすれ違いが生じており、お三方の関係は深刻さを増しています」(宮内庁関係者)

 

そうした複雑な事情は、百合子さまの薨去をきっかけに浮き彫りになっていた。

 

「寬仁さまが薨去された際と同じく、百合子さまの「斂葬の儀」も喪主を務められたのは彬子さまでした。ご身位や慣例からいえば、信子さまが喪主を務められるはずでしたが……。それでも百合子さまが薨去された日は、信子さまも三笠宮邸へ弔問にいらっしゃっていました。ですが、玄関で宮務官らに労いをお伝えになっただけで、百合子さまのご遺体と対面することは実現しませんでした。

 

15日に行われる百合子さまの墓所一周年祭の儀にも信子さまは出席されない見通しであると聞いています」(前出・宮内庁関係者)

 

信子さまのご弔問はまさに“玄関払い”だったようだが、今年に入ってからも母娘の確執を感じさせる“ハプニング”があった。それは3月に皇居・宮殿で催された、ブラジルのルーラ・ダシルバ大統領夫妻を歓迎する宮中晩餐会でのこと。

 

「予定では、信子さまの左隣に瑶子さまが着席されることになっていました。ですが、宮中晩餐会が始まる数時間前に席順の変更があり、お二方の間にブラジル側の要人が座ることが発表されたのです。三笠宮家の複雑なご事情を知っていれば、お二方を隣り合わせにするのは“タブー”なはずです。寸前で回避されましたが、万が一、お隣同士になっていたら周囲が気遣う事態になっていたでしょう」(前出・宮内庁関係者)

 

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出典元:

WEB女性自身

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