雅子さまは62歳のお誕生日を迎えられた12月9日、宮内庁を通じて文書で「ご感想」を公表された。戦後80年の節目となった2025年には、天皇陛下や愛子さまとともに、第二次世界大戦の記録と記憶が刻まれた場所を巡られた一年だったが、文書にも《今後とも永続的に平和を守っていくことの大切さを改めて深く心に刻む年になりました》とつづられていた。
皇室の次世代を担う愛子さまとともに、戦争を知らない世代に悲惨な歴史や平和の尊さを伝えていく「記憶継承の旅」に臨まれた、戦後生まれの天皇陛下と雅子さま。お誕生日のご感想に一連の“旅”について言及されていることについて、皇室担当記者はこう話す。
「雅子さまはまた、痛ましい体験を語ってくれた高齢の戦争経験者への感謝の思いを述べつつ、《多くの方が苦難の道を歩まざるを得なかった歴史を改めて思うとともに、戦中・戦後に多くの人々が経験した悲惨な体験や苦労について、戦争を知らない世代が学び、後世に伝えていくことの大切さを感じました》《この長い年月の間、多くの人々の努力によって我が国に平和が築かれ、守られてきたことを忘れてはならないと思います》ともつづられています。
こうした言及は、皇室に入られる前に外務省職員だった雅子さまらしいバランスの取れたご姿勢が表れているようにも感じました。なによりも印象に残ったのは、《過去の歴史から謙虚に学び、平和の尊さを忘れず、平和を守るために必要なことを考え、努力していくことが大切なのではないかと感じます》という一節です。
戦後80年という節目に、歴史を多面的に捉えることの大切さをあらためて訴えられているようにもお見受けしました。そしてそれは、雅子さまが尊敬してやまないお父上の御主張にも通じる要素があるようにも感じています」
雅子さまの実父は、外務事務次官、国連大使、国際司法裁判所所長を歴任した外交官だった小和田恆さん(92)。そんな小和田さんが今年9月に行った日本記者クラブでの記者会見で、国際社会のリーダーに向けて鋭い批判を行い、注目を集めていた。外務省関係者はこう語る。
「小和田さんは記者会見の中で、ナチス・ドイツへの宥和的な姿勢が第二次世界大戦の開戦につながった部分があると指摘し、『プーチン大統領に妥協していたら限りがない』『(トランプ大統領に)プーチンとのディールを許さないよう、日本と欧州諸国が支えるべき』などとも語りました。
またイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの侵攻については、“見逃してはいけない”“イスラエルを改めさせるには米国の力を使うべきで、米国を説得する役割は日本も担える”とも発言したのです。周知のとおり日本外交においてはアメリカを刺激するようなことは“禁じ手”であり、事務次官まで務めた小和田さんがここまで強く述べたことに驚きが広がったのです。
さらに、戦後80年にメディアが戦争の被害の歴史ばかりに光を当てるのではなく、“日本に加害者の立場はなかったのか”“受難の経験を記録し、語り継ぐことに異存はないが、それだけ見ていていいのか”と、報道のあり方にも疑問を述べたのです」
外務官僚としての輝かしいキャリアのほかに、国際法の権威としても国内外で声望を集めてきた小和田さん。前出の皇室担当記者はこう続ける。
「小和田さんは事務次官時代、`92年の上皇ご夫妻による初の中国ご訪問に向けて主導的な立場にあったこともあります。敗戦後の日本がどのように国際社会に復帰し、戦争で被害をもたらしたアジアの国々に果たすべき役割がどういったものなのか、次世代にも考えていってほしいという思いがあるのでしょう。
雅子さまのご感想にも、お父上の問題意識が受け継がれているようにも感じました。来年は日本の国連加盟70年の節目。雅子さまも皇后として、国際親善でのご活動を通じ、どのように世界の平和の実現に貢献できるのか、模索されながら実践されていくことでしょう」
実父から受け継ぐ“志”とともに、雅子さまの新たな奮闘の日々が始まった。
画像ページ >【写真あり】日本記者クラブで記者会見に臨んだ小和田恆さん。外務官僚時代は切れ者ぶりから「カミソリ」と呼ばれていたことも(他15枚)
