■旧宮家の男系男子が皇室の一員になり得ない理由
そして今回たまたま皇室の方々とお会いする機会に恵まれたそれと軌を一にして、皇室典範改正の国民的な論議が巻き起こりました。
出会うことが本分の写真家にはよくこういうことが起こります。そして高市早苗首相は選挙後、国旗損壊罪や皇室典範改正といきなり右旋回のアクセルをいっぱいに踏みはじめました。特にこの4月に武道館で行った右派の集会とも言える昭和100年記念式典では臨席された天皇陛下のお言葉を一切封じ、自分のみが延々と演説を打つという前代未聞の不遜なことが起きました。そしてそのあとの皇室典範改正です。
その結果、愛子さまはお世継ぎの可能性から外された。
私個人は高市政権が今上天皇を排除しようとしているこの流れの先には、右派の悲願である憲法第9条改正があると思っています。その流れはこの戦争の世紀の中で、平和反戦という左派的お題目が空論になりつつあるということも表しています。
昭和天皇以降三代続いた現天皇の系譜はある意味で特異です。
太平洋戦争や原爆被災という大きなダメージは自ずと非戦、反戦、平和を命題とする皇室のお姿を生み出し、期せずして反戦平和を命題とする左派的テーゼと合致してしまった。
つまり戦後の天皇家は政治的発言を一切封じられた象徴天皇という立て付けな訳ですが、逆に非戦、反戦、平和というある意味で極めて大きな政治的発言をしているということになるわけです。
そういう意味で憲法改正を悲願とする自民右派には切り捨てるべき存在であり、その姿が昭和100年記念式典の異様な風景に現れ、そしてついに皇室典範改正によって昭和、平成から続く天皇の系譜を断ち切られた、というそういうことだと個人的には思っています。
しかし、依然愛子さま人気というものが世の中にはあり、高市政権の支持率急落の原因のひとつが愛子さま外しにあることも明らかです。
政権はお世継ぎはタレントの人気投票ではないという極めて俗っぽい言い方で世の中の動向を揶揄(やゆ)しています。ただ民衆という大きな塊(マッス)となっている感覚を侮ってはいけない。
人々は実際の愛子さまを間近に見たわけではありませんが、日々メディアを通して接する愛子さまのお姿に何かを感じ取っており、それが愛子さまをお慕いする感性の塊になっているのです。
仏教用語に顔で施す、つまり「顔施(がんせ)」という言葉があります。優れた仏像はその顔の施しを持っており、そのお顔を見ることで怒りや哀しみや荒んだ心がおさまる。
愛子さまはたまたまそのお育ちの環境によって顔施の力を自然と身につけられた方であり、それがこの戦争ばかりの荒んだ世の中でギスギスしている人の心を救い、それがお慕いする気持ちを誘発しているということであり、決してタレント人気のようなものではないということです。皇室のもうひとつの存在理由はここにあると思っています。
そんな中、旧宮家の人々を皇室に迎えるという案がありますが、仮に10億円の麻布台ヒルズのマンションで育ったからといって、あの皇居の悠久の自然が作り出す人の姿とは程遠く、おそらく顔施を持つような皇室の一員とはなり得ないことは自明です。
こんな言い方は申し訳ないが、政争に明け暮れる政治家の多くは写真家の眼から見ると人相が荒んでいる。私は戦後の80年を生き、その戦後の全ての政治家の顔を見てきていますが、悪貨が良貨を駆逐するかのように昨今ますます政治家の人相が悪くなっており、それは国民の最大の不幸のひとつです。
そんな顔施とは程遠い顔をした政治家たちが、太古の空気を身につけられた愛子さまを一刀両断に切り捨てる、その情景は笑うに笑えない滑稽な芝居を見ているようです。
画像ページ >【写真あり】藤原さんが衝撃を受けたという茶会での愛子さまのお顔(他12枚)
