■政治家たちが考慮しなかった“皇室の祈り”
愛子さまのご訪問が決まった一報に、地元の人々も盛り上がっていたという。
「愛子さまが川曳を視察されることがわかったとき、地元の伊勢市民は大変光栄に感じていました。
川曳の話題になると、決まって愛子さまのお名前を口にしていたほどです。川曳に携わる人のなかには、ひょっとしたら聞いていただけるのではと、木遣り(重い木や石を大勢で運ぶときに息を合わせるための歌)の稽古に励んだり、道具を新しくしたりした人たちもいました」(千種さん)
木遣りで「敬宮さま 二十歳ごとの神の御柱 曳き給う」と歌われると、愛子さまは笑顔を見せられたという。
地元の人々同様に、愛子さまも今回の伊勢神宮参拝には、並々ならぬ意欲を持たれていたようだ。
その背景について、ある宮内庁関係者はこう語る。
「この数カ月間、注目を集め続けた皇室典範改正にまつわる議論ですが、“天皇の男系の血脈をどう守るのか”という点ばかりに保守派が拘泥していたことに、皇室の方々も違和感を覚えていらしたそうです。
皇室の私的行事という側面もあり、宮中祭祀については写真が公開されることもほぼありません。ただ国民にとってなじみが薄いとはいえ、皇室の本質ともいえる“祈り”について、政治家たちがまったく考慮することなく議論を進めていたことに、日ごろから宮中祭祀に励まれている愛子さまは複雑な思いを抱かれているようです」
皇室史に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは次のように話す。
「天皇家は、五穀豊穣と国家安寧を神々に祈ることを歴代の使命にしてきました。天皇家に生まれ育った方々は、幼いころから、長い伝統のある皇室の祭祀や祈りの世界にふれられてきたのです。また結婚して皇族となった妃殿下方も、祈りを自身のものにするために励まれてきました。
しかし皇室典範改正に関する議論では、養子縁組の制度化による男系男子の皇統維持に固執する発言ばかり目立ちました。皇室の祈りをどう継承していくのか、また継承するにふさわしい人物がいるのか、といった視点がほぼ抜け落ちていたように思います。
戦後に一般社会のなかで暮らしてきた旧宮家の方々が、養子として皇室に戻っても、祭祀や祈りの伝統を担えるかどうかについては、私は疑問に感じています」
国家安寧の祈りで欠かせないことの一つが、災害を防ぐこと、早期の復興を願うことだという。
前出の宮内庁関係者によれば、
「愛子さまは、2年ぶりに伊勢神宮を参拝することで、皇室の祭祀とあらためて向き合いたいとお考えだったそうです。そしてご出発4日前の7月28日に、令和8年熊本地震が発生しました。
天皇皇后両陛下、そして愛子さまは、熊本で甚大な被害が生じていることに深くお心を痛め、また断水や40度近い厳しい暑さや余震によって、不安な気持ちで避難生活を送っている人たちのことを案じておられます。
愛子さまは『被災地の人々を救うために』と、伊勢神宮参拝へのご覚悟をさらに強められたに違いありません」
さらに祈りを深めるために、愛子さまが、かねて見習われているのが、叔母・黒田清子さんなのだという。
「清子さんは、愛子さまと同じく、“天皇の娘”として生まれ、“天皇の背中”を見ながら成長し、いまも上皇ご夫妻を支え続けています。また’12年からは伊勢神宮の臨時祭主として、さらに’17年からは祭主として、皇室の祈りを守り続けているのです。
愛子さまは成年皇族となられてからずっと清子さんからお借りしたティアラを着用されています。愛子さまにとって清子さんは、信頼できる人というだけではなく、“指標となるべき人”であることは間違いありません」(前出・宮内庁関係者)
愛子さまは御木曳に参加されたが、もちろん清子さんも、7年後の’33年まで行われる式年遷宮の関連祭事に携わっている。
「式年遷宮の祭事は昨年5月から始まっています。1カ月後の6月には長野県で『御杣始祭(みそまはじめさい)』が営まれました。御木曳と同じように、御用材に関する行事です。
式年遷宮で、ご神体を納める器(御樋代・みひしろ)の御用材となるヒノキを斧で切り出す様子を、祭主として清子さんは見守っていました」(前出・皇室担当記者)
