(写真・神奈川新聞社)
横浜市内に唯一現存していた戸建て市営住宅「三ツ境住宅」(同市瀬谷区三ツ境)の最後の1戸が5月下旬、取り壊された。木造平屋で築60年以上が経過しており、市内最古の市営住宅だった。市の担当者は「耐用年数を大幅に超過しており、老朽化が著しく火災の危険などもあるので取り壊した。今後、戸建ての市営住宅を造ることはないと思う」と説明。周辺住民からは「最後の1戸とは知らなかった」などと惜しむ声も聞かれた。
市営住宅課などによると、市営住宅の建設は1947年にスタート。当時は「庶民住宅」の呼称で、集合住宅ではなく戸建てが主流。51年には「三ツ境住宅」計220戸が建設された。
詳しい資料が残されていないが、当時の戸建て市営住宅の標準的な間取りは台所、6畳、4・5畳の「2K」(34・7平方メートル)で、三ツ境住宅も同様だったとみられる。敷地面積は1戸当たり約160平方メートルで、相鉄線三ツ境駅から徒歩10分。入居は抽選となるなど人気を集めたが、国が持ち家政策を奨励していたこともあり、50年代後半には住人への払い下げを開始。最終的に約200戸を売却し、残った20戸が市営住宅として利用されていた。
市営住宅の家賃は入居者の収入や立地、規模、築年数などに応じて算定する。築50年以上で現存最古の上飯田住宅(同市泉区、1,404戸)の場合、1室(39.2平方メートル)が最低月額1万7千円台からだが、取り壊し直前の三ツ境住宅は最低月額6,200円だったという。
今回取り壊された住宅は、20戸の中で最後まで残っていた1戸。老朽化に伴って他の住戸の住人が転居していく中、完成当初から入居していた90代の男性は「住環境を変えたくない」と住み続け、昨年7月末に亡くなった。住宅があった場所は現在、更地となっており、面影は残っていない。
亡くなった男性と同じく完成当初に入居したという女性(85)は「わたしたちは抽選に当たって20歳で入居し、その後市から買い取った。昔はこの辺りはタヌキやフクロウがいて、夫は風呂のまき割りをしていた」と昔を懐かしみ、「取り壊されるのは見ていたが、最後の住宅とは知らなかった。残念。写真を撮っておけば良かった」と惜しんだ。
◆横浜市営住宅
戦後間もない1947年に「庶民住宅」としてスタート。木造平屋の「文庫住宅」(金沢区)や最初の集合住宅となる「栗田谷アパート」(神奈川区)などが建設され、51年の公営住宅法の施行を受けて「市営住宅」に。ひかりが丘住宅(旭区)が建設された69年ごろから戸建て住宅よりも集合住宅の方が多くなっていった。現在の市営住宅戸数は3万1,397戸で、内訳は市の直接建設2万5,992戸、民間からの借り上げ3,977戸、市による改良住宅1,428戸。