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(写真・琉球新報社)

ラムネにスルメイカ、くじびき、模型飛行機。懐かしい駄菓子やおもちゃに囲まれて、入り口近くのレジのそばにちょこんと座るのは仲間貞子さん(89)=那覇市。那覇市久茂地で駄菓子屋「ギフトショップ女奈(じょな)」を営んで35年、今も現役だ。店の目の前にある久茂地小の閉校で店を訪れる子どもたちは減ったが「店は楽しい。100歳まで続けたい」と笑顔を見せる。

 

幼いころから那覇の街で育った。8人きょうだいの5番目。大家族でむつまじく暮らした生活も、沖縄戦で一変した。18歳だった仲間さんはきょうだいと共に熊本県に疎開。沖縄に戻ると、名護市辺野古に避難していた両親は帰らぬ人となっていた。

 

母とは「けんかもしたが仲良しだったよ」と振り返る。優しい父の遺骨を探しに何度も辺野古に通い、遺骨を見つけた。那覇に戻り唯一残ったミシンで生計を立て、嫁ぎ先でも働いた。

 

今の店を始めたのは1980年ごろ。息子がやっていた店を引き継ぐ形で贈り物用のぬいぐるみなどを売るギフトショップから、徐々に駄菓子を置くようになり、子どもたちの人気を集めた。朝ご飯を食べられない子どもたちにおにぎりを作り、30円で売ったこともあった。「駄菓子を買うために列をつくっていた。学校を抜け出してくる子もいたよ」とうれしそうに振り返る。

 

今も手押し車を押して、壺屋の市場まで自ら仕入れに向かう。「自分で何でもできることが幸せ」。次女が跡継ぎに名乗りを上げるが「まだまだ辞めない」といたずらっぽく笑った。(田吹遥子)

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