高校時代に制作した作品「新・能面物語」の1部と共に=2017年8月、那覇市内
「作品をつくるとき、自分の作品の中に、秘密を隠して楽しんでいるんです」
少し恥ずかしそうに言葉を紡ぎ出すのは沖縄県立芸術大学で陶芸を学ぶアート系男子・鈴木一平さん(19)。性差を越えた美しさと屈託のない笑顔がまぶしい。饒舌ではないけれど、一瞬にして周囲を和やかな空気に包み込む不思議な魅力を帯びている。実は彼、俳優や歌手を目指すイケメン男子の登竜門「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で読者投票1位に当たる「フォトジェニック賞」を2016年に受賞した〝ジュノンボーイ〟。芸術を志す彼がなぜ、キラキラした舞台を目指したのか―。
全国約1万4千人から選ばれたフォトジェニック賞
Q ジュノンボーイに応募したきっかけは?
A 高校卒業前に自分で応募しました。テレビで「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」のファイナルステージの様子が紹介されていたんですよ。
ジュノンボーイが何かはよく知らなかったんですけど、この舞台に立ってみたい、と漠然と考えたのがきっかけです。
Q 自信はあったんですか?
A 自信はありませんでした。一次書類選考の後、地方予選が福岡であって、全国で100人に絞られるんです。そこから雑誌やウェブの投票で、50人、30人、15人、10人っていうふうに絞られて、最後の10人が、テレビで紹介されているファイナルステージの舞台に立つことができるんです。
どんどん進んでいくのは、ありがたいし嬉しかったんですけど、「たかが鈴木一平ごときのために応援して頂いて申し訳ないです」って感じで、選ばれて残っていく実感が沸きませんでした。
沖縄の皆さんがSNSで応援してくれて、すごく嬉しい半面、「みんな忙しいのにごめんなさい」って心の中で思っていました。
Q 結果的に、読者投票1位の「フォトジェニック賞」に選ばれました。
A 本番では一次、二次とも自己PRをする場面があって、両方とも滑ったんです。一次審査は特技のパフォーマンスで、小学2年から6年ぐらいまでやっていたバイオリンを弾きましたが、伴奏とずれてしまい音が合わせられなかった。あ、バイオリンやっていたことは書かないでください(汗)。上手じゃないんで(笑)。
二次審査は、ゲスト審査員の田中みな実さんに愛の告白をする、というものだったんですけど、いきなり「結婚してください」と言ってしまって…。そういうわけで、フォトジェニック賞をいただけるとは思っていませんでした。本当に良かったです。
キラキラした世界に少しでも関わらせていただいて、舞台に立たせてもらえただけでも、幸せでした。
「昆虫少年」「野球少年」だった子ども時代
Q 確かにすごくフォトジェニックな容姿ですが、幼いころはどんなお子さんだったんですか?
A 小さいころは食べるのが大好きで、高校に上がるまでは丸っこくてぷくぷくしていました。「雪見だいふく」ってからかわれていたこともあります(笑)。
小学生のころは野球少年でした。5年生の時に学校に新しくチームが発足して、初代キャプテンをやらせてもらいました。丸坊主で色も黒くて、野球帽をかぶっている元気いっぱいのいたずらっ子でした。
あ、そうだ!こっちのほうが言いたい。僕、虫が大好きな昆虫少年だったんです。「将来は虫博士になる」って作文とかに書くぐらい。ちっちゃいころから虫を捕まえていたんですけど、ある時から虫を傷つけるのが嫌になって…捕るのを辞めたんです。それから小遣いをためて一眼レフカメラを買って、写真に撮るようになりました。今でも生き物の写真を撮っています。
Q 高校3年の時には「沖展」の彫刻部門で奨励賞を受賞されています。美術の道を志したきっかけは?
A 初めは姉のまねっこだったと思います。うちは3人きょうだいで姉が2人いて、2番目の姉は絵が上手でした。小学生のころから一緒に絵画教室に通っていましたが、僕はあんまり絵が上手じゃなかった。でも高校を決めるとき、「美術をやっていく」って腹をくくり、芸術科のある県立開邦高校を選びました。「絵が描ける」ってことへの憧れがあったんだと思います。
開邦高校への進学は、音楽コースだった1番上の姉と、美術コースだった2番目の姉の影響も大きかったと思います。芸術に触れて、毎日楽しそうな姉二人をみているうちに、自然と芸術に心が惹かれていきました。
Q 美術を学び作品をつくり出す〝アート系男子〟が、どうしてジュノンボーイに応募したんですか?
A 芸術家は本来、自らの内に秘めたものを表現したい、「目立ちたがり屋」な存在だと思います。僕自身にもそういう部分があったのかもしれません。
僕、実は…NHKの日曜美術館に出るのが夢なんです。あの番組が大好きで、高校に入ってからずっと見ています。美術の魅力や楽しみ方をいろんな人に広く知ってもらう役割を果たしていると思います。とても勉強になるし良い番組だなと思います。
美術って、そんなに「難しいもの」じゃないと思うんです。見る人が好きなように見れば良いし、見たいときに見たい人が見ればいいと思うんです。そんな気持ちもあって、美術の魅力や楽しみ方の入り口を紹介していける立ち位置になりたいんです。
僕が今、何のために作品を作っているのかというと「誰かに楽しんでもらうため」。でも美術をやっている集団の中からジュノンボーイに選んで頂いたので、美術の楽しさを発信していくのも、僕の一つの役目なのかなと感じています。
Q 今はどんな活動をしていますか?
A 今年の4月から東京の芸能プロダクションに所属しています。とはいえ大学は沖縄にあるので、卒業するまでは学業を優先させたいです。
大学ではガムランのサークルに入って、バリ舞踊を習っています。昆虫好きなので東南アジアへの憧れもあって、14歳のときにマレーシアに連れていってもらいました。
そこで東南アジアの独特の音律に魅せられたんです。楽しいですよ〜。つい先日もバリ舞踊のレッスンを受けに1週間ほどバリに行ってきました。独特な動き、キラキラした衣装、ガムランの演奏…。全てが本当に楽しいです。
ほかにも、野あそびのサークルを立ち上げて部長になりました。草でバッタとかを作っています。
Q やっぱり昆虫好きからつながっていくんですね(笑)! 将来の目標は?
A 〝ワクワクさん〟的な立ち位置になりたいんです。いえ、思い通りに行くとは思っていません(笑)。
そして、もっと美術を勉強して、将来は日曜美術館に出たいんです!
Q 10月8日に沖縄市で開かれるスーパーキッズオーケストラの案内役を務められます。
A 案内役のお話をいただいてから、当日の演奏曲目の一つ「芭蕉布」を作曲された普久原恒勇さんにお会したくなって、高速バスに飛び乗り、事務所をお訪ねしたんです。突然お伺いしたにも関わらず、快く迎えてくださりました。
普久原さんはとても寛大な方で、いろんなお話を聞かせてくださって、音楽の話はもちろん、僕が今学んでいる陶芸の話でも盛り上がりました。
スーパーキッズ・オーケストラの皆さんは、キッズとは思えない卓越した演奏技術を習得されていて、音源で聴くだけでも圧倒されました。僕もまだ生で聴いたことがないので、早く聴きたくてたまりません。とてもユニークなパフォーマンスもする楽団なので、今から楽しみです。
僕は案内役として、舞台と来場者との距離を縮められればと思っています。ぜひ生の演奏を聴きに、沖縄市民会館にお越しください。