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亡き父の写真と形見を手にする大城美智子さん。手前は19年前、米国の祖父母から初めて届いた手紙

 

沖縄の日本復帰前の1969年、元米兵の父と生後すぐに生き別れ、30年後に捜し出した女性がいる。南風原町の大城美智子さん(48)。父は米国で既に亡くなっていた。大城さんは米国の祖母や叔母らと連絡を取り続け、来月下旬、初めて父の古里を訪ねることになった。父の写真を肌身離さず持っている大城さんは「苦しい時、さみしい時、いつも父の存在が支えてくれた。『やっと会えたね』って、父の墓を抱きしめたい」と話している。

 

母の幸子さんは、沖縄に駐留していたジミー・モラレスさんと出会い、大城さんを産んだ。祖母に反対されて結婚を諦め、ジミーさんは米国に帰った。軍を無断で離れ、追われていたという。大城さんは父の顔を見た記憶がない。母も多くを語らなかったため、詳しいことは今も分からない。

 

大城さんは1996年から、在沖米総領事館などを訪ね、父の消息を探った。3年後、父の実家の住所が書かれた封筒を見つけた。手紙を書くと、1カ月後、米国から返信があった。差出人は父の両親だった。

 

「あなたの存在を初めて知り、驚きと感動を覚えています。しかし、悲しいニュースを伝えなければなりません」とあり、ジミーさんが9年前に殺害されていたことが分かった。普段泣かない母が大声を上げて泣いた。大城さんも泣いた。「やっぱり一度は会いたかった。ただ抱きしめてほしかった…」

 

一方、米国の祖母や叔母らと手紙のやりとりが始まった。半年から年に1回。大城さんは全てをファイルにとじている。今はスマートフォンのアプリを使って、叔母と写真やメッセージを交換する。誕生日には花と共に「今までさみしい思いをしただろうけど、あなたは独りじゃないよ」とのメッセージが届いた。大城さんはまた泣いた。

 

子どもの頃は「外人」と言われ、母1人の稼ぎで貧しかった。成人後も「つらいことの方が多かった」。病気も患った。苦しい時は米国から届いた父の写真を取り出し、「パパ、見守っててね」と声を掛けた。来月20日から、その父の古里、米国テキサス州を訪ね、墓前で父と向き合う。母の幸子さんは10年前に亡くなったので、夫の昌信さん(52)が連れ添う。

 

米国の祖母らと音信が通じて19年、父と生き別れて48年。米国に異母きょうだいが9人いることも分かった。大城さんは「本当に夢みたい。産み育ててくれた母、支えてくれた父、家族に感謝したい。諦めないで良かった」と話している。

(真崎裕史)

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