アメリカに渡って25年。「音にこだわったコミュニティー形成をしたい」と語る大城宜成さん 画像を見る

 

米ニューヨーク、ブルックリン。地下鉄を降りて5分ほど歩くと、古い倉庫街が広がります。壁やシャッターにはグラフティが描かれ、少し寂れた雰囲気の一方、おしゃれな人が行き来する気配も。ギシギシと鳴る金属のドアを開け、らせん階段を上ると、天井いっぱいにカラフルなバルーンや照明で彩られた「空間」が突如現れました。ここが「音」にこだわったコミュニティー作りに取り組む大城宜成さん(48)=宜野湾市出身=の音の研究所「ディケイター・オーディオ・ラボラトリーズ」です。

 

「良い音で音楽を聴かせる場所を提供したい」と、ブルックリンにスタジオを構えて8年目。大城さんはこの場所を拠点にさまざまな分野の人とつながりながら、ダンスイベントやライブ、セミナーなど、多彩なイベントを開催しています。

 

「レジェンド」との参加型音響セミナー

 

この日はニューヨークのディスコのサウンドシステムを築いた、世界的にも著名な伝説のエンジニア、アレックス・ロズナーさんを講師に招いた参加型音響セミナーが開講しました。一般的なセットアップや音響の概論から、スピーカー、アンプ、ミキサー、ターンテーブルなど機器にこだわったシステム作りまで、9月まで計5回に渡り、レクチャーとワークショップを行います。

 

参加者はクラブのオーナーやDJ、雑誌の編集者、プロデューサーなど約40人。熱心にメモを取ったり、質問したり、濃密な空気が漂います。セミナーにはスペインからの申し込みもあるそうです。参加できない人たちからのリクエストで、5回のセミナーを映像として記録に残す作業も同時進行しています。

 

「ニューヨークで48年間続いているプライベートイベントの手伝いを10年ほど前からさせてもらっているんですけど、アレックスはそのイベントのサウンドを任されていました。彼の仕事ぶりに感動して以来、ずっと何か一緒に仕事をしたいという思いがあり、数年かけて交流を重ねながら、今回のセミナーを実現させることができました」と語る大城さん。

 

ニューヨークに移住して25年。倉庫を改造したスタジオに生活道具を持ち込み、音と暮らす大城さんにとって、「良い音で音楽を聴かせる場所」を通したコミュニティーづくりはライフワークです。

 

コザでDJ、23歳でニューヨークに渡る

 

幼いころ、家には何かしら「音」に関する物があったという大城さんは4人兄弟の末っ子。3人の兄たちはそれぞれアマチュアバンドを趣味にし、ギターやサックス、ドラムなどの楽器に触れる機会がありました。大城さんも14歳の頃にお年玉でベースを買い、普天間高校時代にフュージョン系のバンドを始めました。

 

学校の勉強は興味がなく「ウーマクー(やんちゃ)だった」高校時代。学園祭で演奏したり、ライブハウスを借りてチケット作り・販売からイベントを開催したりと音楽に情熱を傾けました。高校卒業後は沖縄市のクラブ「ジョージワシントン」でDJとして働き、ハウス系の曲をプレイ。この頃、幅広い音楽と出合う機会を通して、キューバやブラジル音楽にはまり、海外移住を決意しました。政治情勢や治安を考え、1993年、23歳の時に渡った街がニューヨークでした。

 

住み始めて最初の数年間はクラブやコンサート、アートショーに足しげく通い、さまざまな刺激を受けました。ニューヨークで出会った友人に誘われ、バーやラウンジでDJをさせてもらう経験も。ただ、「ニューヨークのスタイルは音質より音圧重視の傾向があった」ことへの疑問をきっかけに、音響に興味を持ち始め、ターンテーブルやスピーカー作りに挑戦しながら「ないなら自分たちで作ろう」と良い音にこだわる場所作りを14年前、当時ブロンクスで始めました。

 

「JOY」と名付けた会員制のハウスパーティーは今年6周年。会員たちは自分たちを「JOYファミリー」と呼び、「おなかの中にいたころから来ていた」という子どもから80歳近くのお年寄りまで、年代も人種もさまざま。片道5時間以上かけて来る人もいるそうです。大城さんが選んだ3人のミュージカルホストのみがイベントでプレイすることができ、夕方から深夜までの間、1人のミュージカルホストによってジャンルを超えた「音楽の旅」が1曲1曲丁寧にレコードで奏でられます。

 

食事は近所のレストランからフルコースで振る舞われ、「ファミリー」は自ら、クーラーボックスに持ってきた飲み物をシェアしたり、食事の後のお皿を洗ったり、「JOY」でのマナーを教える「教育係」がいたりと、まさに「コミュニティー」。スタート当初2人だった会員は、口コミで広がって現在800人まで上り、1回のイベントの定員100人に対して毎回申し込みが殺到します。イベントの撮影は一切禁止。まさに「ここに来た人しか味わえない時間」は、空間と音楽、そして人がいて初めて完成するアートのようで、米国内外から注目が集まっています。

 

人生、視点を変えることで見えること

 

人と音楽、人と人をつなげる「コミュニティー」。音響セミナーの休憩時間も、妻・新垣裕美子さん=久米島出身=の手作り野菜スープが振る舞われ、ゆんたくと笑顔が広がりました。

 

スタジオ兼自宅では、生活が全て「音」とつながっています。倉庫を改造した場所で、装飾も全て音優先。妥協をせず、丁寧に続けていくには経済的なハードルもあります。でも、2人は「冬になると家でスキースーツを着て生活しています」「気温がマイナス20度だった時は、冷蔵庫の中の方が暖かくて猫が入ろうとしたくらい」と冬の「電気代節約術」をユーモアたっぷりに紹介するなど、とにかく朗らか。

 

「寒い日はお風呂入りにおいで」「ご飯食べに来たら」と温かい声をかけてくれる友人たちに囲まれています。渡米前はテレビ局の仕事をしていた裕美子さんは「ニューヨークはその人が一生懸命生きていれば、周りはその手段に対して笑わない場所です」と語ります。

 

「20歳くらいの時には音、情報発信、アートを巻き込んだ自分のスタジオ作りをしたいと、漠然とですが考えていました。それがいまだにぶれていないことは恵まれています」と語る大城さん。将来は沖縄とニューヨークを行き来しながら、「沖縄のアーティストも交えたコミュニティーを形成すること」が夢です。

 

「物事は視点を変えることで違って見えることが多々あって、人生も同じことじゃないでしょうか。想像して具現化する楽しさをもっと沖縄の人たちにも感じてほしいし、そうすることでより豊かに楽しく生きていくことができると信じています」

 

いい音と共に、人とつながり合う。夢をカタチにしてきた大城さんの笑顔には、人生を楽しむ自由とたくましさが漂っていました。

 


 

座波幸代(ざは・ゆきよ)  政経部経済担当、社会部、教育に新聞を活用するNIE推進室、琉球新報Style編集部をへて、2017年4月からワシントン特派員。女性の視点から見る社会やダイバーシティーに興味があります。

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