2度にわたり、左右それぞれの乳がんの治療経験がある日本トランスオーシャン航空(JTA)の客室乗務員西向ゆかりさん(54)=宜野湾市。いずれも検診で見つかった。最初の乳がんにかかったのは、勤続25年がたった43歳のころだ。「乳がん検診で右胸が要検査になった。でも仕事の忙しさと、母を乳がんで亡くしていたこともあり、自分も同じ病気かと思うと不安で、すぐには再検査に行けなかった」と話す。
勇気を振り絞り、数カ月後、クリニックで検査を受けた。がん細胞が乳管・小葉の周囲に広がる進行性の浸潤がんと診断された。真っ先に思ったのは、仕事ができなくなるという不安。接客業務という仕事柄、抗がん剤治療で脱毛し、見た目が変わることや、術後の浮腫で手が思うように動かせなくなることが気がかりだった。
幸い、抗がん剤を使わずに済むタイプで、乳房温存手術と術後の放射線治療、ホルモン療法で仕事を続けながら乗り切ることができた。
1度目の乳がんを診断されてから9年目の16年、今度は定期検診で左胸に影が見つかり、その後の検査で浸潤がんと診断された。「ああ来たか、という感じ。でも転移や再発ではないと知り、冷静に事態を受け止められた」と話す。
2度目の乳がん治療は抗がん剤が必要なタイプで、脱毛などの副作用も経験した。一時は治療の間も勤務を継続しようと考えたが、抗がん剤の投与を計画通りに続けることが効果が高いと聞いて考えを改め、治療に専念することを決めた。
1年の病休を経て、昨年末、職場に復帰した。「仕事をしていれば病気のことも忘れられるよ」という主治医の励ましの言葉は、実際に復帰して実感した。「お客さまの尊い命を預かる緊張感のある仕事。制服を着てお客さまに笑顔で接する間、病気のことを忘れられる。笑顔が私の元気のもと」と話す。
2度の乳がんで異なる治療を経験し、次第に自分の体験を周囲に伝えていこうと考えるようになった。「乳がんの罹患(りかん)者を職種別に見ると、客室乗務員も上位。女性の多い職場だし、自分の体を大切にしてこそ、命を預かる仕事ができる。そう伝えていけたら」と話す。
2度目の治療では、病休で収入が途絶えた中で治療費がかさみ、一時経済的にしんどい思いをした。きょうだいの援助や高額療養費制度、がん保険で何とか賄った。
心の支えとなったのは、乳がん患者会「ぴんく・ぱんさぁ」。1度目の時は働いていたこともあり、平日の集まりに参加できなかったが、2度目のがん治療時は、患者会などにも顔を出すようになった。「1人じゃない」という安心感を同じ患者仲間から得られた。
今後は自分の体験をありのままに、少しずつ語っていきたいと考えている。
(新垣梨沙)