WBCでは日本のピンチを何度も救った中日ドラゴンズの井端弘和選手(37)。2次ラウンドでMVPに選ばれたとき「今日も奥さんが応援に来ています。ひと言ありますか?」とマイクを向けられ「家族があって、いまがあると思っています」と答えた。

 

奥さんは元テレビ朝日アナウンサーの旧姓・河野明子さん(34)。『報道ステーション』のキャスターを務めていた。プロ野球開幕前夜の3月28日、明子さんを訪ねた。

 

井端選手が最初に目の不調を訴えたのは’09年始め、グアムに自主トレに行ったときだった。「電話で『目が腫れて痛いんだよね』と言うんです。帰ってきて、主治医に診てもらうと”ヘルペス”という診断でした」と明子さん。

 

『上皮角膜ヘルペス』というウイルス性の目の炎症。打席に立てばボールがぼやけて見える。守備では、飛んできた打球を感覚だけで取らなければならない状態だった。発病1年後の’10年は、144試合中53試合しか出場できなかった。

 

「家にいてもテレビも見られず、ただ痛みをこらえていたという感じで、いちばんつらかった時期です。そのシーズンに、主人は引退を考えました。朝4時ごろまで話して、手を尽くして治療してきても回復の兆しがなくて、『いますぐやめたい。明日チームに報告して球団に言う』って。最後は『治る手はないか私が全部調べるから、それでもダメなら』と2人で納得したんです」(明子さん)

 

明子さんは目の専門医を調べはじめた。ネットも駆使し、評判の病院には自ら足を運び、実際に行った病院は6つだったが、調べた病院は100を超えていた。メガネ屋さんで特注コンタクトの相談もした。さらに彼女は、夫を救うためなら、我が身を差し出しても……、という覚悟も持っていた。

 

「私は視力がいいので、網膜とか角膜とかを主人に移植できないかと思って、病院の先生に『移植はできないんですか』と相談しました。主人は笑いながら聞いていましたが、私の目が150キロの球を打つのに役立てば……と思って。実際には『移植は無理です』と先生に言われてしまいましたが」

 

そんな彼女の献身的な愛情が、夫の病状を徐々に快方に向かわせていった。そして冒頭の2次ラウンドMVPにつながったのだ。開幕前夜、家族で囲む食卓。夫婦の新たな”闘い”が、始まった――。

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