「笑顔はすべてをカバーする。心配も不安も。でも無理してるわけじゃなくて、『いつも笑顔』は染みついているんです。その出発点は、応援部の新人時代だったかもしれません」

 

そう話すのは、2020年の夏季五輪・パラリンピック招致の最終プレゼンテーションで、トップバッターの大役を見事に果たした佐藤真海さん(31)。IOC委員だけでなく世界中を魅了し、東京にオリンピックを引き寄せた“まみスマイル”は、急ごしらえで練習したものではなかった。

 

彼女は走り幅跳びで、’04年のアテネから3大会連続でパラリンピックに出場したパラリンピアン。骨肉腫で右足ひざ下を切断したのが20歳のとき、早稲田大学の学生で応援部のチアリーダーズの3年生であった。同期10人の一人の森実麻生子さん(33)はこう語る。

 

「練習のときも、オフで恋バナするときも、いつもニコニコの真海でしたが、2年の秋のシーズン途中から、『足が痛い』と言い始めて。検査のあと、『骨肉腫で骨を切断する』ってメールがきて電話すると、涙声でした」

 

初めて周囲に見せた弱気だった。しかし、以降、彼女は一切、うれし涙以外、人前で涙を見せたことはなかったという。同期10人は、手術の成功を願い千羽鶴を折った。1人100羽に、100通りの「ガンバレ!」のメッセージを添えて。真海さん本人は、当時をこうふり返る。

 

「手術直後は、心から笑えない時期だと、自分でもわかっていました。『しっかりしていこう』と気も張っていた。そうでもしないと、自分が負けちゃいそうじゃないですか。そんなとき、自分の意思をはっきり出すために、笑顔を心がけたんです」

 

3.11の東日本壇震災では宮城県気仙沼市の実家が被害にあった。現在、母親のえり子さん(53)たち家族は東京で暮らしている。真海さん自身、震災後は被災地をボランティアでまわった。

 

「自分自身、過去に同期に支えられました。手術のときの千羽鶴。メッセージが1千枚すべてに書いてあるか怪しんで(笑)、開いてみたら、『待ってるよ』『真海ならできる』『帰ってきて』……。みんなが『待っていてくれる』というのが、とっても心強かったですね。その体験を、大切な故郷の人たちに返したいと思いました」

 

プレゼンテーションの大役を果たして11日に帰国してからは、まったく休息も取れない状況だ。

 

「(取材当日も)テレビ局をハシゴして4本の番組に生出演してきました。母にはまだ会っていませんが、メールはきました。『真海の母親になれて、誇りに思います』とありました。母も苦しみがあったと思いますし……お互い支えあってきましたから」