「紀明は私たち家族にとっては希望の星で、弟が頑張るから私たちもつらいことに耐えて立ち向かっていくことができました」

 

そう語るのは、北海道名寄市に住むスキージャンプ競技の日本代表、葛西紀明選手(41・土屋ホーム)の姉・紀子さん(44)だ。

 

7大会連続の五輪出場を決め、選手団主将を務める葛西選手は、今年1月オーストラリアで開催されたW杯で優勝し、史上最年長記録を更新した。W杯優勝は実に10年ぶりで、日本選手としては最多の16勝。「カミカゼ・カサイ」と海外の選手から呼ばれ、そのフォームは世界一美しいともいわれる。

 

しかし、葛西選手がこれまで歩んできた道のりは、決して平たんなものではなかった。家は貧しく、病気を理由に働こうとしない父親にかわって母・幸子さんが働き家計を支えた。それでも、近所から米やお金も借りなければ暮らしていけなかった。

 

’92年に続き、’94年のリレハンメル五輪の代表選手に葛西は選ばれたが、このとき、高校に入学したばかりの妹の久美子さん(36)が病魔に襲われる。再生不良性貧血。

 

「僕が金メダルを取れば妹の病気が治るような気がする」(葛西選手)

 

リレハンメル大会で葛西は善戦し、団体ラージヒルで日本チームは銀メダルを獲得した。その後、久美子さんの病気は回復したものの。また2年後に新たな悲劇が葛西家を襲う。家に放火され、幸子さんは大やけど負った。皮膚移植を繰り返したが、結局、11カ月後に亡くなった(享年46)。

 

葛西選手はブログのなかで、《休む暇もなくずーっと子供達のこと考えてくれてたんだろうな~。そんな母さんに家を建てて上げるからって約束したまま……。今母さんがいたら即行!土屋ホームの家を建てて上げたんだけどな~》と告白する。

 

母親の死後、それまで疎遠だった父親との交流も少しずつだが回復していった。競技を始めたときから高校入学で実家を離れるまで、凍えるような寒さのなか、ずっと練習に付き合って、ジャンプ台の整備をしてくれた父親。名寄市のアパートで一人暮らしをしている父・利紀さん(72)

 

「名寄に来たときは俺の家にも来てくれる。海外遠征から帰国したときも電話してくれるし、それはうれしいよ。2日前にも来て、パソコンをプレゼントしてくれたよ。(衛星放送とネットの動画サイトで)『親父にも俺が頑張っているところをリアルタイムで見てほしいんだ』と言って」

 

葛西選手は母親の墓地を建てた。命日とお盆、大きな大会の前には必ず墓参りをする。現在、妹の久美子さんは肺炎をこじらせて入院中だ……。さまざまな思い背負って葛西選手はソチの空を舞う。姉の紀子さんは言う。

 

「もちろん頑張ってほしい。でも、弟は金メダルを獲得するためだけに飛んでいるのではないような気がするんです。それが何なのか私にもわかりません。でもいつかこの日のために飛び続けていたんだ、なぜあんな苦労をしてきたのか、いつかきっとわかる日がくるような気がします」

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