2月16日、東京・日大病院で左膝半月板損傷の内視鏡手術を受けていたとブログで明かしたクルム伊達公子(45)。執刀したのはスポーツ整形の第一人者である日大病院の斎藤明義医師。だが左ヒザの状態は、思いのほかひどい状態だったという。
「半月板は完全に割れていて、元となる部分の摩耗も尋常ではない状態。結局、かけらを除去する手術に切り替えたそうです。今のままでは、生涯スポーツとしてテニスに関わることも難しいレベル。プロとして復帰するには複数回の手術をしなければならず、さらには長いリハビリ期間も必要になるとのことでした」(前出・テニス関係者)
45歳の伊達にとって、プロ復帰に長期間かかるという言葉は事実上の“引退勧告”に等しいものだった。
「さらに斉藤医師は『あくまで一般論』としながらも『現役復帰すれば膝に負担がかかるため、状態は再び悪化する。そうなれば今度は歩けなくなる可能性もあり、医師としてはとてもお勧めできない』と伝えたそうです。それを聞いた伊達さんはさすがにショックを隠せなかったといいます」(別のテニス関係者)
それでも現役続投への道を模索しているという伊達。そんな彼女を励ましているのが、19歳年下の錦織圭(26)だった。
「世界で活躍する日本人選手が少ないこともあり、2人には年齢を超えた絆が生まれているようです。日常的にメールのやりとりをしていて、錦織選手が14年9月の全米オープンで初制覇を逃したときも伊達選手が『落ち込まないで』と送ったそうです。また陣中見舞いは恒例行事で、伊達選手は錦織選手に特製のおにぎりを作って励ますことも。傍から見ていると“姉と弟”のような関係なんです」(スポーツジャーナリスト)
これまで支えてくれた“姉”の悩める今に、錦織はこんなエールを送っていた。
「手術直前、錦織選手はメンフィスオープンを闘うためアメリカにいました。そこで史上初となる4連覇を達成しましたが、遠い異国から彼は伊達選手のことを心配していたといいます。実は錦織選手、伊達さんを執刀した斎藤医師を知っていました。彼は’09年に肘を手術していますが、当時の担当医が斉藤医師だったそうです。彼は自身の経験をもとに、伊達さんへ何度も激励のメールを送り続けたそうです」(別のテニス関係者)
3月9日には、錦織とともに日本テニス協会のナショナルメンバーにも選ばれている伊達。 手術から1カ月。エールを受けた彼女が下す決断は――。