「横綱としてみなさまの期待に沿えられないということには、非常に悔いは残りますが、わたしの土俵人生に一片の悔いもございません」
1月16日、第72代横綱・稀勢の里(32)が引退した。初場所初日から3連敗を喫して決意した引退。会見では溢れ出る涙を何度も拭った。
「今場所は腹が据わっているな、と感じていたんですがね。本人も覚悟を決めて臨んだ場所だったと思います」
そう話すのは、田子ノ浦部屋後援会長の長谷川裕一さん(78)。昨年12月25日に東京・帝国ホテルで開かれた田子ノ浦部屋5周年パーティーで、隣の席に座った稀勢の里と話したという。
「そのときはたわいのない話ばかりで、進退の話はいっさい出ませんでした。場所前の稽古も、神がかった激しいものでした。何としても横綱の責務を果たすという気持ちが感じられたのですが……」
長谷川会長も期待を寄せていた初場所。しかし、全盛期の力強さが蘇ることはなかった。
「真面目すぎました。彼はあまりにも“くそ真面目”だったんです」
そう語るのは、十両時代から13年間、稀勢の里の名古屋滞在中に専属運転手を務めてきた江口正裕さん(65)。早すぎた引退の原因についてこう語った。
「ファンの期待に応えようと無理をし続けた結果でしょう。あれだけの大ケガをしたのに、完治しないまま本場所に出場し続けた結果、こういう形での引退になってしまったんです」
17歳の若さで関取となり将来を嘱望された稀勢の里だったが、ここ一番では勝負弱く準優勝は実に12回。それでも応援し続けてくれたファンに応え、17年の初場所で悲願の初優勝。30歳での横綱昇進に日本中が沸いた。
しかし次の春場所、優勝争いのさなかに左大胸筋の断裂という大ケガを負ってしまった。江口さんもこのとき、大阪まで駆けつけたという。
「『休んだほうがいい』と伝えたのですが、稀勢の里は『頑張って出ます』と言って、出場し続けました。完治まで半年はかかる大ケガを負いながら、優勝してしまったんです」
ただし“奇跡の優勝”の代償は、あまりにも大きかった。続く名古屋場所でも、5日目に足を痛めてしまう。このとき病院に送り届けたのも江口さんだった。
「診察が終わるのを待っていると、焦った様子で車に戻ってきました。病院で『稀勢の里がいる』と大騒ぎになったので、見つからないように逃げてきたというんです。『だから代わりに診断書もらってきてほしい』と。そうやって、いつも弱いところを見せないように振る舞っていたんです」