「体が大きかったもので幼稚園のころに柔道をやらせてみたら『投げられると痛い』と……。そこで地元の草加相撲練修会に通うようになったのですが、キツイぶつかり稽古の時間になると、いつもトイレに行ってしまって(笑)。友達のランドセルをたくさん背負って帰ってくる姿を見たこともあります。本人はジャンケンで負けた罰ゲームだと言っていましたが、頼まれると断れない性格ですからね。

 

中学生になってもケンカは弱かったですよ。相手が倒れてしまうと、『大丈夫か』と、心配して駆け寄ったりするのですが、その隙をつかれてボコボコにされて……。顔を腫れ上がらせて帰ってくると、今度は夫に『ケンカは本気でやれ!』と、また怒られたり」

 

堀切家の育児ルールは、“他人に迷惑をかけたり、イジメたりすることは許さない”だという。

 

専門誌『相撲』(’19年11月号)には、気弱なりにヤンチャに育ち、“人様に迷惑をかけた”中学3年生当時の阿炎少年を、早苗さんが6連発ビンタで戒めたというエピソードも紹介されている。そのことを早苗さんに聞くと……。

 

「6連発ですか? いろいろ叱りすぎて思い出せません(苦笑)。私が夜勤のときは、母に子供たちの世話を手伝ってもらっていました。でも洸助は『おばあちゃんはお姉ちゃんばっかりかわいがっている』と、反抗的だったんです。そんな態度を目の当たりにしたときには、厳しく怒りました。とにかく悪いことをしたときには、たたいたり、蹴とばしたりと、私も体を張ってきました」

 

厳しい教育方針ではあっても、いまだに阿炎が母親っ子なのは、早苗さん流の愛情を肌で感じてきたからなのだろう。

 

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