羽生結弦 寄付総額3千万円!原点リンクへの支援続ける理由
画像を見る 18年のパレードで掲げられた横断幕(写真:アフロ)

 

■「羽生君は私たちにとっての希望の光」

 

深い絆で結ばれた羽生とリンク。「アイスリンク仙台」の支配人はこう語っている。

 

《羽生君はここの、私たちにとっての希望の光です》(『Number』’21年2月4日号)

 

地震でまたしても練習拠点が一時休業に追い込まれた羽生。約1カ月後の世界選手権を目前に控えた今、大きな痛手のはずだ。

 

それでも、羽生はもう一度“希望の光”になるべく、すでに動きだしているという。自身もかつて「アイスリンク仙台」の前身リンクでスケート教室を開いていたフィギュアスケート評論家の佐野稔さんは言う。

 

「“仕上がっているからリンクでの練習はやらなくていい”ということはありえません。羽生選手は、現状を受け入れて、できることを最大限に模索していると思います。前回の震災による大きな痛手が羽生選手を作り上げたといっても過言ではありません。“逆境には負けない”という意思がありますし、今回もやり遂げると信じています」

 

そして、故郷を背負った羽生は“宿願”に向かって突き進む。

 

「3月の世界選手権ではライバルのネイサン・チェン選手(21)と2年ぶりに直接対決します。2月初頭に米国の大手データ会社が’22年の北京五輪のメダル予想で、金メダルはネイサン選手、銀メダルは羽生選手と予想しました。

 

しかし、羽生選手はそうした下馬評も燃料にして、“世界選手権では絶対にネイサンに勝つ!”と意気込んでいるといいます。新プログラムに変えた今シーズンは、今まで以上に演技の出来もよく、ミスさえしなければネイサン選手に勝てる可能性は大いにあると思います。そして勝つことで、必ずや被災地にふたたび希望の光がさすことになると彼は自覚しているのです」(前出・スポーツライター)

 

羽生を突き動かす原動力には、リンクへの思いもあるようだ。

 

「アイスリンク仙台はこれまで何度も営業休止を経験してきましたが、そのたびに乗り越えてきました。逆境に打ち勝つたびに成長してきた羽生選手としては、そんなリンクに自身の姿を重ね合わせているのかもしれません」

 

’14年6月に「アイスリンク仙台」で東日本大震災復興ソング『花は咲く』にのせてスケートを披露した羽生。その際、リンクへの思いをこう語っていた。

 

「自分の“ふるさと”であり、生まれ育ったまちということでもあるのですが、このリンクということだけでいえば、僕のスケートが生まれた場所。羽生結弦というスケーターが生まれた場所」

 

自らの悲願、そして何より“原点”であるリンクのために、羽生はふたたび“王者の舞”を見せてくれることだろう――。

 

「女性自身」2021年3月9日号 掲載

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