「亡くなった前日の夜も、古賀は家族といつものように夕食時を過ごして就寝したそうです。翌朝、自宅の畳の上で亡くなったようですから、最期としては幸せだったんだろうなと。死に顔は、穏やかな、いつもと同じようなままで余計に涙が出ました」
そう語るのは、道場「古賀塾」の理事も務める日本スポーツエージェント社長・古屋博史さん(56)。“平成の三四郎”の異名を取った柔道家で’92年バルセロナ五輪男子71kg級金メダリストの古賀稔彦さん(享年53)が3月24日、川崎市内の自宅で亡くなった。
「古賀さんはがんを患い、昨年5月に片方の腎臓を摘出。夏にも手術を受けたのですが、がんは体中に転移していたらしく、終末期の腹水貯留の兆候もあったといいます」(スポーツ紙記者)
だが、20年来の付き合いの古屋さんは最近の古賀さんの様子をこう証言する。
「亡くなる1週間ほど前も、コロナ禍が落ち着いたら子供たちの指導をどう再開するか、という将来のスケジュールを話していました。今年に入って講演会の仕事もしましたし、体調は変わらないように見えました。本人もご家族も私も、快方に向かっていると思っていたんですが……」
古賀さんは’97年に再婚した4歳年下の早苗夫人との間に、3人の子供たちに恵まれた。
「一部では“略奪婚”ともいわれた2人でしたが、夫婦仲はいたって良好。ご夫妻で早朝散歩したり、ご家族で公園でランチするほほ笑ましい姿をよくお見かけしました。奥さまは弔問に訪れた友人女性たちに励まされると、自宅前で号泣しながら『みなさん、本当に本当にありがとう』と一人一人に頭を下げていましたね」(近隣住人)
関連カテゴリー: