■本人の反省の弁よりも目立ちすぎた妻の声
どんなに強いアスリートでも、良い結果を出し続けるのは無理なことです。しかし彼に対しては今大会中、なぜか「結果で見返せ」という声が多数集まっていました。
そもそも選手に限らず、有名人の不祥事に対して反省を求める声が出るのは近年ではある程度仕方ないこと。だとしてもスポーツ選手に対して「結果をもってして反省しろ」「結果で見返せ」といった価値観を望むのは、逆にどうなのでしょう。
結果として、彼はメダルという結果は残せなかったわけです。しかしだからといって不倫やその後の対応について反省していなかったのかといえば、まったくそんなことはないでしょう。
それは普通に考えればわかること。なのになぜ彼は終始、こんなにも炎上し続けてしまったのでしょうか。それには悲しいかな、“不倫された側”である妻の存在が関係しているように思います。
妻は夫の不倫発覚以降、積極的にメディア活動をしていました。しかしこれが多くの人には、“出しゃばり”といった批判的な印象になってしまったようです。
そもそも妻が頑張るのは性格的な部分は別としても、家計を支えるためという目的があるのは明白です。それでもなお批判する人が跡を絶たないのは、なぜなのか。1つは、瀬戸さんと妻の対応差にもあったのではと思います。
不倫発覚から程なくして、瀬戸さんはマネジメント会社経由で謝罪コメントを発表しました。
《処分中に家族、水泳連盟、JOC その他沢山の方々とお話をさせていただき自分を振り返ることで、いかに自分が恵まれた環境にいて身勝手な考えをしていたかを痛感しました。このような状況でも支えてくれた家族、そして温かく声をかけてくださる方々に感謝申し上げます》(2021年1月11日付・一部抜粋)
瀬戸さんが謝罪をしたのは発覚当時の直筆謝罪文や、こうしたコメントのみ。いっぽうの妻は瀬戸さんの不倫発覚後からメディアでのインタビューに答え、テレビ出演などでも多くを語ることとなりました。
この対応が、結果として「当人が言わずに、妻がそれ以上を語る」という図式を作り上げてしまいました。
こうなると瀬戸さんが真摯に反省しているのかどうか、外野からは分からなくなってしまうことに。さらに妻は、それを“利用した”と見えてしまいます。このアンバランスさに、結果として反感が生まれやすくなったのかもしれません。
個人的には妻がメディアに出たり頑張ったりするのは今の夫を支えるためであり、求められるのも「アスリートの妻」「瀬戸大也の妻」だからというのを理解しているからこその振る舞いに見えます。
しかしいっぽうの瀬戸さんは多くを語らず、活動を継続。語らないからこそ彼のポジティブで軽やかな性格が「反省していない」「舐めている」といった印象なり、明るくて快活なイメージが一転してしまったのかもしれません。