■翔平ちゃんの母が語った「奇跡のキャッチボール」
’19年1月の大阪府内にある病院での対面を静葉さんが振り返る。
「大谷選手はすごく穏やかな方でした。息子に『翔平くん』って語りかける声からも思いやりが伝わってきて……。『前髪を切ったんだね』と、頭をなでてくれたり、『こんにちは』と、ほっぺを(指で)プクプクしてくれたりして、優しいお兄さんって感じでした。
『この装置は何のためですか』『点滴には何が入っているんですか』とか、息子の病気のことをすごく理解しようとしてくださったことも強く印象に残っています。大谷選手からパワーをわけてもらえるんじゃないかと思って『だっこしてください』と、お願いしました」
翔平ちゃんには人工心臓の電源コードや点滴の管がつながっていた。大谷は最初はとまどいながらも、小さな翔平ちゃんをしっかり抱きしめてつぶやいたのだ。
「あったかいね……」
そんな大谷の笑顔を、翔平ちゃんもしっかり見つめていた。大谷がプレゼントとして用意していたのは“翔平くんへ”と書かれたボールや帽子。
「ボールを息子の手に握らせてくださったんです。そして大谷選手が両手を広げてさし出すと、息子がポイッとボールを手放して……」
翔平ちゃんからのボールを受け止めた大谷はまたニコリとして、「野球しよっか!」。
“2人の翔平”の思いがけないキャッチボールに病室にいた人たちからは、「おおっ」と、驚きの声が上がったーー。
「しょうへいくんを救う会」のHPには大谷のエールも掲載された。《1日でも早く渡航して手術を受け、早く元気になって帰ってこられたらなと思っています》
前出の支援者・Aさんによれば、
「大谷選手が翔平くんをお見舞いしたことが報じられてから、わずか2~3日で、残りの1億5千万円が集まりました」
だが目標額も達成し、アメリカへの渡航を翌月に控えていた翔平ちゃんが亡くなったのは、2カ月後の’19年3月のことだった。
その悲報は、エンゼルス関係者から大谷に伝えられたーー。