赤井英和の長男・英五郎(左から2人目)がプロデビューをはたした(左端:長女・つかささん、右端:佳子夫人)/ 撮影:永田理恵 画像を見る

「今日は本当に嬉しい日でした……」

 

長男・赤井英五郎(26)が9月11日のプロボクシング・デビュー戦で相手に猛打され、レフェリーストップ負けした直後にもかかわらず、母・佳子さん(55)は微笑んでみせた。

 

佳子さんは昨年より、元プロボクサーで俳優の夫・赤井英和(62)とのユーモラスなやり取りをツイッターアカウント“赤井英和の嫁”でツイートし始めブレイク。フォロワー20万超え、ときに27万超の「いいね」がつくなどしてトレンドワードにもなっていた。

 

一方、26歳と遅まきのデビューの長男・英五郎だが“浪速のロッキー”ジュニアとしてマスコミの注目度は高く、この日は“後楽園ホール興行のセミファイナル”という破格の扱い。そんな愛息の初陣を前に、佳子さんは同日朝、こんなツイートをしていた。

 

《私が勝負するわけじゃないけど、私の勝負メシはおにぎり! 英五郎が自分らしいボクシングができます様に!》

 

ボクシング関係者や評論家は、英五郎の敗戦に落胆したが、母の“勝負”は、試合結果とまったく別のところにあったのだ――。

 

 

「英五郎は7カ月の早産でした。逆子で帝王切開だったんですが、肺に水がたまっていて、オギャーとも泣けなかったんです」

 

’94年9月22日に2,740gで生まれた英五郎は、NICU(新生児集中治療室)に入り、約1カ月間、人工呼吸器をつけていた。よく熱を出し、咳も出て、佳子さんの手が休まる暇がない幼少時だったという。

 

小学生時分は「ひとりで黙々と遊ぶ子」で、絵画やブロック遊びも「自分でどんどん創造していく」個性派だったが、周囲に馴染めないことがわかってきた。佳子さんは独創性を活かせる環境を探し、6年生から「ハワイの大自然の中にある一貫校」に進学させることに。

 

「とにかく、英五郎には伸び伸びできる環境をという思いが先行しました。英語が話せないのにアメリカに送り出してしまい、後から『英五郎がいない!』と家で寂しく思いました」

 

赤井夫妻は英五郎がまだ4歳だった’98年に双子の次女、三女を授かったが、低体重出生児で、三女が生後3日、次女が生後7カ月という早すぎる旅立ちを見送っていた。幼少時は発育に不安があった英五郎を海外に出すのは、身を切るような思いだったはずだが……。

 

 

「でも、赤井があんなこと(’85年、試合でKO負けして脳内出血、緊急開頭手術の末、一命をとりとめる)があっても、いまも元気でいる。その息子である英五郎の“生命力”を信じていたんです」

 

初対面のとき、赤井英和を「大草原にいる一番強いライオンだ!」と直感して約30年。その雄々しい人間力を見続けてきた佳子さんが、息子にいちばん受け継いでほしかったのは、「天真爛漫に生きる力」だったのだ。

 

11歳で渡米すると英五郎はその後、ラグビー、アメリカンフットボールで頑健な体をつくり、進学した米ウィティア大学では数学や映像の勉強に勤しんだ。筋骨隆々、理知的で冷静な青年になったが、周囲を気遣うあまり思い切りに欠けるところが心配でもあった。

 

「だから20歳になる直前に『アメリカでボクシングを習い始めた』と言ってきたときは、『自分で決められたこと』が嬉しかったんです。今回のプロデビューもそう。『早いか、遅いか』とか『チャンピオンになれるか、なれないか』よりも、英五郎が『自分で見つけてきて、やっていること』が、なにより大事なんです」

 

母の瞼には、いつまでも消えない“幼いわが子の姿”がある。すぐに熱を出しては、咳込んで、手がかかった英五郎が、こんなにたくましく、100人もの仲間が応援に駆けつけてくれるような男性に成長した。

 

「コロナ禍で試合ができなかったこの2年、あきらめずに今日まで辿り着いた。そこには多くの方々の応援があった。私は『ありがとうございます』とすべてに感謝したい」

 

だからこその笑顔。母の頬を伝ったのは、嬉し涙だった。

 

(取材・文:鈴木利宗)

出典元:

WEB女性自身

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