■「エンゼルスの本拠地アナハイムまで行ける旅費はもうたまっています」
西を奥羽山脈、東を北上山地に挟まれた奥州市。なかでも、大谷選手の出身校のある姉体地区を訪れると、一面の田んぼの緑が夏の太陽を浴びて目にまぶしいほどだ。
姉体小学校を訪れると、校舎の一角には大きな横断幕が。
《頑張れ! 大谷先輩 僕らの希望 二刀流大谷選手の母校》
同小のグラウンドで練習しているのが、姉体スポーツ少年団。代表の及川菊雄さん(67)には、幼き日の大谷選手との忘れられない思い出があるという。
「彼のお兄さんがうちの少年団にいたので、お母さんが幼い就学前の翔平君をよくグラウンドに連れてきていたんです。あれは、たしか盛岡の大会でのことでした。昼の休憩に、保護者たちが小さな子供らに、『うちの少年団に入ってね』と言いながらお菓子を配ったんです。そしたら翔平君は、『僕、いらない』と。入団するかどうかわからないからという理由でしたが、もう入りたいチームが決まってたのかも。そのときは、まあ、正直、生意気なこと言うなと思いましたけどね(笑)。逆に、その後の彼の人生の選択を思うと、あの幼さで、もう強い意志を持っていたと感心するんです」
プロで、ましてメジャーで投打の二刀流なんてありえない。記録更新を狙うなら、どちらかに専念するべきだ。そんな周囲の声をはねかえし、自らの意志を貫き、現在、有無を言わせぬ二刀流での活躍を楽しげに続けている。そんな“大谷先輩”は、少年団の子供たちの憧れだ。
「今は女子を入れて21人。実は去年、子供たちのユニホームをデザインも色もエンゼルス風に変えました。胸には『ANGELS』ならぬ『ANETAI OSHU』です。これは、ただまねたというだけでなく、“ふるさと姉体みんなが大谷選手を応援してます”というメッセージを込めています」
同じく姉体地区で出会った主婦の遠藤陽子さん(71)は、大谷選手は「生きがい」と言った。
「彼が中学時代からのファンです。毎日、地元の岩手日報や全スポーツ紙で活躍をチェックするところから一日が始まります。もちろんテレビのスポーツニュースやBSでの試合も。記事を切り抜いたスクラップブックは、もう22冊。昨日までふさぎ込んでいても、翌朝にホームランが出たと知ると、イヤなことを忘れさせてくれる。それが、最大の魅力。
あるとき、私が勤務するコンビニに、どちらも背のスラーッとした女性が見えて、それが大谷選手のお母さんとお姉さんでした。改めて、大谷選手は本当に私の地元から出たスターなんだと思って、ますます彼に関するものはなんでも知りたい、集めたいとなって。これ、見てください」
小1のときの児童センターの文集が差し出された。直筆の大谷選手のページには、“大好きなスポーツ「やきゅう」、よく見るテレビ番組は「ワンピース」、どんな大人になりたいか「ふつうの人」、あなたの夢は「やきゅうのせんしゅ」”
「1年生くらいでも、野球のことばかり。このときから、道は決まっていたのね。野球と同じで、字もバランスがいい(笑)。今は私、もっと近くに行きたいと思って、ホームラン貯金もしてます。メジャーに行ってからだけど、大谷選手のホームランが1本出るごとに1万円を近所の信金に入れるんです。つまり『大谷貯金』。いつの間にか主人も貯金を始めちゃって、もうエンゼルスの本拠地アナハイムへの旅行費はたまってるんです。本当は去年、行くつもりが、コロナで断念。そうしてるうちに、私も、という人も次々出てきて。大谷選手は、姉体住民の長寿のもとなんです」