■「奥州市の子供たちが『どこにいても世界とつながれるんだ』と思うようになって」
「翔平君のピンチだからこそ、アメリカまで激励に行こう」
18年10月、エンゼルス入団からわずか半年ほどで、右肘のトミー・ジョン手術を受けた大谷選手。投手生命を懸けての決断は、衝撃的なニュースとして報じられた。もちろん地元の姉体でも、みんなが不安を口にした。姉体町振興会元理事の佐藤教樹さん(77)もその一人だった。
「今、駅前商店街を見ても、多くがシャッターを閉めていたりするなど経済も停滞するなか、どれだけ町や市全体が、翔平君から元気をもらってきたか。そんな彼の大手術と聞いて、すぐに町民から応援メッセージを集め始めましたが、問題は、さて、どうやって本人に届けるか(笑)。会員のなかには翔平君の実家のすぐ近所の人もいますが、ふるさと応援団の一つのルールが、“大谷さんファミリーにはご迷惑をかけない”ということ。だったら、思い切ってアメリカに届けに行こう。手術後は回復に2年ほどかかると記事にもありましたから、こちらも1年計画で準備しようとなったんです」
こうして“プロジェクトA(姉体)”が動き始めた。
「まず、エンゼルスのファンクラブに加入した。続いて、お金がないので、大手旅行会社には頼めずに、パソコンで安いチケットや宿を取りました。年寄りばかりですから、パソコン操作に四苦八苦しながら。向こうでタクシーも使えませんから、この年で国際免許も取って。そうこうするうちに、メールを通じてエンゼルスの広報の方と奇跡的に知り合うことができたんです。思えば通じるものなんですね」
19年9月23日、佐藤さんら姉体町振興会の4人は、アナハイムのスタジアムに立っていた。
「25日のアスレチックス戦の前に、バックネット裏で、広報の女性に『大谷選手のホームタウンから来ました』と、町民や母校の姉体小学校、水沢南中学校の生徒たちのメッセージなどを手渡せました。大谷選手からの返事ですか? それはありません。でも、いいんです。見返りは求めないというのも、われわれ応援団の一つの暗黙の了解になってますから」
その後も、大谷選手への月2回のメールによる「ふるさとメッセージ」は継続中で、シーズンが終わるまで続けられるという。
取材の最後に訪れたのが、水沢区にある美容室ヘア・アンド・スパ シームスのオーナーの菅野広宣さん(60)。
まず入口前に設置されているのが、「大谷メーター」。試合ごとに更新されるホームランや投手としての勝利数などが掲示されている。これも市役所から始まり、今ではあらゆる場所で見られる。
店内に足を踏み入れると迎えてくれるのが、膨大な「大谷グッズ」。
「花巻東、日ハム、オールジャパン、エンゼルスと各時代のユニホーム、すべてサイン入り。首を振るボブルヘッド人形など、レアな非売品も多いです。このアシックスの大谷モデルのバットは30本限定で、ネットオークションでは240万円の値がついたり。まもなく、オールスターのときのサインボールもアメリカから届きます」
子供のころは、大谷選手と同じ野球少年だったという菅野さん。
「奥州市では数年をかけて、静かに応援するというスタイルを作ってきました。私も大谷選手のお父さんとは顔見知りですが、『今日もホームラン出ましたね』『どうもどうも』といった感じのスタンスでのやり取りです。とはいえ、ここ数カ月は大谷選手の“聖地巡礼”で、グラウンドなどから、うちの店まで来られる方も。日本中はもちろん、先日は外国の方もいらっしゃいました」
孫もいるという菅野さん。大谷選手への最大の感謝は、子供たちに夢を与えたことだという。
「大谷選手の活躍を通じて、ここ奥州市の子供たちが、『どこにいても世界とつながれるんだ』と思うようになっているのが、何よりうれしいですね」
野球でもどんなジャンルでも、子供たちみんなに等しく無限の可能性があることを、大谷選手は身をもって伝えてくれている。