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「羽生くんは、実は私の命の恩人なんですよ」

 

そう語るのは、フィギュアスケート評論家の佐野稔さん(67)。佐野さんは数年前、GPシリーズの解説のためにモスクワに向かう機内で持病のぜんそくが発症、ひどく苦しんだという。

 

「ふだんは何ともないので薬を持ち歩いてなくて。夜中近くに到着したホテルで『これから救急病院探すか』と話していると、そこに羽生くんのトレーナーの先生が通りかかった。『(薬なら)ゆづがたくさん持っているよ!』と。彼も同じ病いに苦しんでいたんですね。

 

吸入式の薬を1瓶もらって、調子がよくなったんです。羽生くんには『命が助かったよ』と感謝の気持ちを伝えました」

 

本誌は羽生結弦を知るゆかりの人たちに今だから語れる逸話を取材した。そこには、羽生の知られざる素顔が続々とーー。

 

佐野さんと同じく羽生の先輩スケーターでフィギュアスケート解説者の本田武史さん(41)は、羽生との思い出をこう振り返る。

 

「’14年、ソチで金メダルを獲得した彼の仙台凱旋アイスショー『Together on Ice』に出演したんです。そのときまでは年齢も離れているので会話はそれほどなかったんですけど、一緒に滑ることで彼のストイックさを練習から見ることができました。五輪で2回、彼が金メダルを取った場所で解説者としてでも立ち会えたことには、本当に感謝です」

 

同期スケーター・日野龍樹(27)の小4時の羽生の印象は、「元気でよくしゃべる子」だったという。

 

「ちゃめっ気があって、面白い人だと思うんです。17年前の野辺山合宿の宿舎では、生年月日順で2部屋に分かれていたんです。11月生まれの(田中)刑事と12月のゆづたちが同じ。2月の僕は違う部屋でした。うちらの部屋で『クイズ!ヘキサゴン』かサッカー日本代表の試合を見るかでケンカになって。そしたらその場にゆづがいたんです。結局、ゆづのジャッジでサッカーになったんですけど、“どっちのほうが見る気持ちが強いか”的な感じで、決まりました(笑)」

 

会見後、羽生に連絡したという。

 

「お疲れさま、的な連絡を入れさせていただきました。詳しい内容は言えませんが、返事はくれました。これからもケガとか体調には気をつけてほしい。それだけは強めに言うかもしれないです。(同期で)彼に何をしてあげればいいか、今考えているところです」

 

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