それでも浅野家が明るさを失わなかったのは両親のおかげと、浅野選手は自著『考えるから速く走れる ジャガーのようなスピードで』(KADOKAWA)で語っている。
《貧乏でも、浅野家にポジティブな空気しかなかった理由は、やっぱり、お父さんとお母さんのキャラクターが大きい。普通の親なら、子どもたちに苦労しているところを見せたくないと考えるのかもしれません。でも、ウチは見え見え(笑)。結婚指輪を売ったときはさすがに「ヤバいな」と思いましたが、そんな状況でも、両親はいつも明るかった》
六男の誕生から10年後、浅野家にとって待望の女の子・心春ちゃんが生まれた。前出の恩師・内田さんが語る。
「ちょうど拓磨が全国高校選手権で得点王になったころに生まれた子なんです。だから拓磨は『僕の勝利の女神だ』ってよくうれしそうに話していました」
内田さんの奥さんも振り返る。
「生まれたばかりの妹をお風呂に入れて世話するのは、拓磨くんの楽しみだったそうです」
17歳年下の妹は、浅野選手にとって家族の中でも特別な存在となった。これまで母に苦労をかけ続けたが、家族、そして妹は俺が守る。そんな決意とともに、浅野選手のサッカーキャリアはますます上昇。’13年にはJリーグ・サンフレッチェ広島に入団することができた。
都姉子さんは本誌に対し、こう明かしている。
「拓はプロ入りしてから毎月10万円を家に入れてくれるようになりました。弟の進学費用も助けてくれて。家の軽自動車がボロボロだからと、ミニバンのステップワゴンまで買ってくれたんです」
プロ入り後に苦しい時期もあったが、最高の舞台で結果を出した浅野選手。これ以上ない家族への恩返しとなった。
現地カタールのスタジアムで“勝利の女神”心春ちゃんが送った声援と浅野家の絆が後押ししたゴールは、日本中を大歓喜させた。