大谷翔平の原点……佐々木監督、栗山監督ら「よき師」との出会い
画像を見る 日本ハム入団時にダルビッシュ有投手の背番号「11」を引き継いだ大谷選手(写真:アフロ)

 

■栗山監督、そして佐々木監督との出会いが、大谷選手の才能を最大限に引き出した

 

栗山監督に誘われ、日本ハム入団を決めた大谷。

 

以降、大谷選手と栗山監督、スタッフらは、日本プロ野球史上前代未聞の二刀流挑戦への道のりに踏み出した。

 

やがて、師弟で歩んできた道が正しかったことが立証された。

 

’16年7月のソフトバンク戦に、1番・投手として先発出場した大谷選手。バッターとして打席に立つや、いきなり初球をスタンドにたたき込む。投手による先頭打者ホームランは日本のプロ野球初どころか、メジャーリーグにもない歴史的な大記録だった。

 

教員免許も持つという、緩急を知り尽くした栗山監督の指導法が実を結んだ瞬間だった。

 

その後も、大谷選手を軸として日本ハムの快進撃は続く。9月には完封勝利でパ・リーグ優勝を決め、日本シリーズ出場をかけたクライマックスシリーズのファイナルステージでは、165kmのプロ野球最速記録を自ら更新。

 

この年、日本ハムは日本一となり、大谷選手はMVPに輝いた。以降、「日本のベーブ・ルース」の名が定着する。

 

そして’17年10月のオリックス戦で「4番・ピッチャー」となった大谷選手は、オフを迎え、メジャー挑戦を正式に表明。

 

メジャーの全30球団のうち、実に27球団が獲得に名乗りを上げたのだった。

 

メジャー行きを決めた大谷選手に対して、栗山監督は「ホッとしました」と、心情を語った。

 

大谷選手の母親の加代子さんの言うとおり、「プロ野球界のお父さん」ならではの本音に違いない。

 

この栗山監督、そして佐々木監督との出会いが、大谷選手の才能を最大限に引き出したという見方を否定する人はいないだろう。

 

「大谷の表情が柔和で、野球ファンだけでなく一般の女性にも親しまれるのは、いまだスポーツ界にはびこる暴力のにおいがないからでしょう。

 

日本ハムのスカウトに聞くと、佐々木監督の花巻東高校野球部にも、生徒や後輩を力で支配しようとする空気がないと言っていました。栗山監督もまた、力の支配とは縁遠い指導者。

 

選手主体の指揮に定評があり、長所を伸ばせるようケアする監督たちの指導法が、大谷の気質に合っていたと思います」

 

と語るのは、『大谷翔平 日本の野球を変えた二刀流』(廣済堂出版)の著書もあるスポーツライターの小関順二さん。

 

栗山監督は、大谷との出会いで、逆に「多くを教わった」と語る。著書『栗山魂』(河出書房新社)に、こんな一節がある。

 

《僕自身もまだまだ、夢を追いかけています。マンガやアニメといった非現実の世界でしか考えられなかった二刀流を、翔平は自分のものにしつつあります。マンガのスーパーヒーローが、現実の世界へ飛び出してきている》

 

共に夢を追う師であり、野球界の父に見送られて、大谷選手は5年越しの願いを実現させ、アメリカへ渡った。

 

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