■バドミントン体験が160キロ速球を生んだ
当時の加代子さんについて、バドミントン部の顧問の1人だった遠山正暁さんに聞いた。
「『バドミントンで全国大会を目指したい』という目標を持っていて、越境して横浜立野高校に入学してきたのです。彼女にとって陣内貴美子さんがライバルでした」
選手たちのなかでも身体能力はずば抜けていたという。
「身長が170センチあるだけではなく肩幅もしっかりしていましたので、選手のなかでも目立ちます。バドミントンは実は駅伝よりも持久力が必要なのですが、陸上部も指導していた私にも勝るとも劣らない持久力を持っていました。
肩が強かったのも印象に残っています。ソフトボール投げは学校で一番だったのではないでしょうか。ジャンプ力もありましたし、相手コートに鋭角で強烈なスマッシュを放っていました」
大谷の強肩強打は、加代子さんゆずりのようだ。
「横浜立野高校は進学校でしたが彼女は『実業団でバドミントンを続けたい』と、三菱重工横浜に入社したのです。大谷選手も高校卒業後にメジャーに挑戦することを表明していました。高みを目指したいという目的意識がハッキリしているところはお母さんの影響を受けているのだと思いました」
結局 “打倒・陣内”は達成することができなかった加代子さんだが、その身体能力と精神力は大谷に受け継がれている。
結婚後は奥州市でママさんチームを作ってバドミントンをしていた加代子さんは、幼い大谷も連れていき、彼もラケットを振るようになったのだ。子供ながらスナップのきいた力強いものだったという。
《あの小さいころの経験が、もしかしたら百六十キロを記録する投球フォームのルーツかもしれません》(前出『文藝春秋』より)
‘22年の『母の日』には、スタジアムのスクリーンに幼い大谷と加代子さんの写真が映し出された。また今年の母の日も、MLB公式サイトが「幼いころのショウヘイ・オオタニとお母さん!」との見出しで、ツーショットを公開している。
母の日のプレゼントについて大谷は明かそうとしないが、息子の活躍こそが最高の贈り物なのだろう。