■謙虚な大谷が主審に耳打ち。「今だったらまだ間に合います。ファウルって言えます」
人には向き不向きがある。すべての助言を受け入れれば、自分の持ち味が消えてしまう。大谷はいいものを吸収しながらも、取捨選択はハッキリとしていた。考え方も行動も一流だった。そんな“超高校級”にもミスはあった。山根さんが振り返る。
「高校1年の冬に寝坊して、めちゃくちゃ怒られていました。当時、同部屋だった1年上の先輩がぐっすり眠っている翔平を見て、スーッと物音を立てずに練習に行った。先輩も性格悪いんですけど(笑)。翔平は『マジでやられたわ』って。監督は遅刻など私生活での過ちに厳しかったですね」
大谷は数日間、練習から外されて、雪かきをさせられた。佐々木監督は生徒が全力疾走を怠ったり、ふてくされた態度を取ったりすると、叱責を飛ばした。
「プレーでのミスには、ほとんど何も言いません。ただ、高2のときに翔平がセンターを守ってトンネルしたら、怒鳴られてました。『翔平でも叱られるのか』って、ちょっとみんなうれしくなって(笑)。逆に言えば、それくらい野球も私生活もキチンとしていました」
佐々木監督は失敗に対し、「準備不足ではないか」「どんな意識だったのか」と理由を探らせた。
「後に引かない怒り方なんです。『自分でちゃんと振り返って、次に生かしなさい』と諭されました」
部員のいる前での注意は2回しかなかったが、佐々木監督は大谷を決して甘やかさなかった。大谷が2年の冬にこう話している。
《実は先日も泣かせました。今しかないと思って…。大谷は謙虚で視野の広い投手だが、周囲に騒がれて投球練習でスピードに色気を見せたフォームになっていたので叱りつけた。140km後半でいい。低めに切れのある球を投げろと》(「岩手日報」’12年1月28日)
野球は球速で勝負が決まるわけではない。大谷が160kmという目標にとらわれているように見えた佐々木監督は投手の原点であるコントロールを磨くように促した。それでも、ケガ明けの大谷が甲子園で結果を出すには時間がなかった。
’12年春のセンバツ初戦で、花巻東は優勝候補の大阪桐蔭と対決。前年夏の甲子園以来の公式戦登板となった大谷は制球が定まらず、7四球、4死球と荒れた。花巻東は2対9で敗れ、2年夏に続いて3年春も初戦で姿を消した。それでも、大谷は“高校ビッグ3”の一人で身長197cmの藤浪晋太郎から特大の先制ホームランを放った。
「ケガ明けでまだ調子がよくなくて、(打者としての軸足である)左足に十分に体重を乗せられなかった。その状態で打ちましたからね。調子が悪ければ悪いなりに対処して結果を出す。並み外れた能力を持っていました」(小菅さん)
打者としては大器の片鱗を見せたが、投手としては未熟だった。大谷は「あれだけの大差をつけられて。悔しいというより情けなかった」と振り返っている。大谷と寮生活を送っていた山根さんが話す。
「いやあ、悔しかったですね。何がいちばん悔しかったかって、勝ったら次の日休みで『自由行動していいぞ』って言われていたんです」
花巻東の野球部には丸一日の休みがなかった。基本的に平日は夜9〜10時まで練習、土日は試合が組まれた。寮生にとって、自由な外出は練習のない平日の午後6時から7時までの1時間に限られた。
「4時半に授業が終わって、野球部のミーティングが6時まである。門限は7時です。その間に必死に自転車をこいで、ラーメンを食べに行ったり、TSUTAYAでDVDを借りたり、漫画を買ったりする。翔平は『スラムダンク』や『ダイヤのエース』を読んでましたね。『ワンピース』や『ナルト』も好きだったと思います。
一時期、寮でホラー映画がはやりました。翔平も何か借りてましたよ。ただ、コーチでもある寮の管理人が『悪いものを引き寄せてしまうから』と禁止令を出して、見られなくなった(笑)。僕らは気にしてなかったですけどね」(山根さん)
センバツでの敗戦後、大谷は藤浪の載っている新聞記事を寮に貼り付け、悔しさを胸に刻んだ。夏の県大会、花巻東は順当に勝ち進み、準決勝の一関学院戦で大谷が大会初先発。初回から150km台の速球を連発すると、6回のピンチでついに160kmを記録した。陰で支えてきた小菅さんにとっても歓喜の瞬間だった。
「すごくうれしかったですね。少しでも『無理かな』という気持ちがあれば、届かなかったと思います。でも、大谷君は心の底から『達成できる』と信じていた」
やみくもに高い数字を掲げるわけではなく、根拠があった。
「先輩の菊池雄星投手が高校時代に155kmを投げていた。監督も私も彼の体を見ていたので、大谷君なら超えられると感じた。監督が頻繁に一対一でも話し、『鍛錬を日々積み重ねれば、絶対に達成できる』と懇々と説いていました」
大人が子供の可能性を信じ、根拠を説明したうえで、道筋を提示する。大谷は毎日を全力で生き、常識を覆した。
一関学院を7回コールドで下した花巻東は、決勝で盛岡大附と対戦。先発の大谷は2回に先制を許すと、3回に4番の二橋大地にレフトポール際に3ランを浴びる。ファウルにも見える打球に抗議したが、判定は覆らなかった。花巻東は最終回に追い上げるも、3対5で敗北。試合が終わると、ナインはグラウンドで泣き崩れた。
「話しかけられる状況ではありませんでした。全員が『すべて終わってしまった』と落胆し、絶望の淵にいました」(小菅さん)
試合後、報道陣の取材に応じるときも大谷の涙は止まらなかった。
「160kmを出すよりも日本一を取って岩手の方々に喜んでもらいたかった。それができなかったのが、いちばん悔しい」
甲子園での雪辱を誓った大谷の高校野球生活は県大会で終わった。引退して数カ月後、山根さんは大谷本人からこんな話を聞いた。
「抗議している最中、翔平は主審に『今だったらまだ間に合いますよ。まだファウルって言えますよ』と耳打ちしたそうです。それだけ必死だったんですね」