■3年前に大谷の姉が野球部部長と結婚。「担任が兄貴になった」とLINEが
岩手大会決勝で敗れた数日後、大谷は目標達成シートに「世界最高のプレーヤーになる」と記した。
「監督が『高校野球は終わったけど、今後の人生も大事だから』と言って、3年生に書かせた。翔平は将来をよく考えてますよ。僕は『プロ野球選手になりたい。そして、女子アナと結婚したい』と書いた気がします(笑)」(山根さん)
プロ野球のドラフト会議を4日後に控えた10月21日、大谷はメジャーリーグへの挑戦を表明。意志が固いと判断した11球団が見送るなか、日本ハムは1位で指名。本人も考えていなかった投手と打者の二刀流を提示し、気持ちを覆させた。山根さんが証言する。
「最後の試合が終わってからも毎日、一緒に練習していました。将来の話もちょくちょくしていたけど、翔平はピッチャーとして野球を続けると言ってました。ドラフト前、二刀流なんて話はまったく出ていませんでした」
大谷は日本ハムを日本一に導いた2年後の’18年、エンゼルスに移籍。今年、投手で10勝以上、打者で40本塁打以上というベーブ・ルースも届かなかった偉業を成し遂げた。大谷の入団当時に日本ハムの二軍監督を務めていた田中幸雄さん(55)は自身の2千本安打の体験を踏まえ、力説する。
「大谷は2年夏や3年春に甲子園で悔しい思いをした。借りを返そうと誓ったのに、最後の夏は出場できなかった。その無念さが、原動力になっているはずです。僕も2年の春夏とも桑田真澄、清原和博のいるPL学園に甲子園で負け、3年夏は地方大会で終わった。もっと上を目指したい気持ちになった。悔しさは力になります」
“世界一”と称される今も、大谷は高校時代の仲間と交流を持っている。
「3年前、翔平の姉ちゃんが野球部の部長さんと結婚するとネットニュースで知ったんですよ。LINEで『これ、ガチなの?』と連絡したら、『いまさらかよ』と返信が来ました(笑)。『そうなんだよ。なんか担任の先生が兄貴になった』って。それから連絡を取るようになって、活躍した日に『おめでとう』と送ると、『Yes』とか『Thank you』とか英語で返してくれます。アメリカにいるよ、英語ができるようになってきたよ、ってことなんですかね(笑)」(山根さん)
屈辱のない人生など存在しない。大谷翔平も挫折から這い上がった。絶望の淵が深ければ深いほど、人は強くなれるーー。
(文:岡野 誠/取材:本誌取材班)