岡田彰布監督38年ぶりの日本一へ!アレの女房・陽子夫人語る「名将と歩んだ苦闘41年」
画像を見る 9月14日、18年ぶりのリーグ優勝を決めた岡田監督

 

■家でも「アレ」ばかり言う岡田監督。陽子夫人だけはすべて理解できる

 

陽子さんの夫への理解力は野球だけに限らない。別の阪神担当記者は、息子の陽集さんにこんな話を聞いた。

 

「父は家でも『ちょっとそこのアレをアレしてくれんか』とか言うんですよ。僕にはさっぱりわからない。でも、母はテーブルにあるしょうゆを取ったり、新聞を持ってきたりする。母だけは『アレ』『ソレ』が何を指しているのか理解できる。息子の僕も驚きます」

 

就任2年目の’05年、岡田は解雇の危機にあった藤川球児のリリーフ適性を見抜き、ジェフ・ウィリアムス、久保田智之とともに鉄板の救援陣「JFK」を確立して優勝を果たした。当時、陽子さんは本誌にこう語っていた。

 

「家でいかにリラックスしてもらうかに気をつけました。幼いころから野球一筋の人で、気分転換になる趣味がない。ですから、バラエティ番組や格闘技、ドキュメンタリーなどを録画しておくんです。2人で話しながらビデオを見たら、気が紛れるかなと思って」

 

就任5年目の’08年は開幕から独走し、7月にマジックを点灯させた。しかし、巨人に最大13ゲーム差をひっくり返され、岡田は責任を取って辞任。当時、陽子さんは本誌に素直な心境を吐露した。

 

「優勝の雲行きが怪しくなってきてからは、一緒にバラエティを見ることもなくなりました。私が気分転換をさせようとしたり、妙に明るく振る舞ったりすること自体がしらじらしくなってきたんです。夫婦ともに日を追うごとに食欲もなくなり、元気もどこかに行ってしまった。ただ、お互いがそんな状態でしたから、同志のような感覚になりました」

 

阪神の指揮官として5年で4度Aクラスに入った岡田は’10年からオリックスの監督に就任。1年目には交流戦で優勝したが、3年目のシーズン途中に解任の憂き目に遭った。現場から離れて次のチャンスを待つ間、岡田は自己コントロール術を身につけていた。今回の取材で陽子さんはこう話した。

 

「この10年で、主人も変わりました。好きなサスペンスドラマを見ている間は野球のことを考えずに済むとわかった。数独も好きで問題集をたくさん買ってきて、よく解いています。いろいろ試して、自分に合った気分転換の方法をいくつか見つけたと思います」

 

愛する古巣への復帰を考え、岡田は己れを磨いていたのだ。中谷さんはこんな姿を目撃していた。

 

「監督になる前、よくウチの店にきて阪神の試合を見てました。『ピッチャーええし、優勝できる力のあるチームやのに』と歯がゆそうでした。『なんでここで選手を代えへんのや。おーん』とイライラしてました(笑)。今年もキャンプインの前日なのに監督就任記念の盾を持ってきてくれました。『こんなんできたから店に飾っといてえな』と。本当に律義で優しい男なんです」

 

過去の監督時代は40代後半から50代前半だった岡田も現在65歳。一般企業なら定年を迎える年で、超人気球団の指揮官という激務を担っている。食事が喉を通らなかった’08年の経験も生かし、陽子さんは今年、試合のない休日の食卓には本人の好きなものを並べたという。

 

「基本は魚を使った和食ですが、主人の食欲が落ちてきたようなときには、手製のお好み焼きやオムそばなど、庶民的でほっこりできるものを出すようにしていました。主人は生粋の大阪人なので、お好み焼きだと『オッ』と笑顔になってくれます。精神的にも落ち着けるでしょうし、まずは食欲をそそることが最優先ですから」

 

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