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今年もやってきた、女性から意中の人へ思いが伝えられる一大イベント「バレンタインデー」。いまでは本命チョコや義理チョコだけでなく、自分へのご褒美にチョコを購入したり、“逆チョコ”“友チョコ”など多様化しているが、昭和という時代は、贈られるチョコの数がスターの人気を測る1つの指標になっていた。届けられるチョコの数がケタ違いのスポーツ選手も数多。そんな、アイドル的人気を誇ったアスリートたちのバレンタインデーにまつわる伝説を振り返ってみよう。

 

■甲子園のアイドルには、トラック20台分のチョコが!

 

毎年チョコの数でスポーツ新聞を賑わせていたのがプロ野球選手たちだ。たとえば“平成の怪物”こと松坂大輔。横浜高校のエースとして、98年には春夏の甲子園連覇を達成。西武ライオンズに入団した99年春のキャンプではフィーバーが巻き起こった。キャンプ地に届けられたチョコは1200個を記録。

 

その後、メジャーリーガーとしても活躍することになる大エースは当時、「甘いものは好きなので、食べられるだけ食べます」と、初々しい笑顔を見せていた。

 

「プロ野球選手のチョコ伝説といえば、74年にドラフト1位で巨人に入団した定岡正二が有名。鹿児島実業高校在学中、甘いマスクで『甲子園のアイドル』になった彼の入団直後のバレンタインには、郵便局から20台以上のトラックでチョコが。鹿児島県にある彼の実家にもチョコが大量に届けられたそうです。それもそのはず、宛先に『鹿児島県・定岡正二』と書くだけで、全国からチョコが届いたのです。その後、定岡氏は、明治チョコレートアーモンドのCMにも出演したほど、チョコ業界にとっては大きな働きをしました」(スポーツ紙記者)

 

また、ヤクルトスワローズの高津臣吾監督(56)は、23年のキャンプ中、スポーツ新聞の取材でバレンタインの思い出について問われた際、「(現役時代は)そんなのもう年間7000個とかあった。軽トラック2台とかあったよ。光GENJIか高津臣吾かだったから」(サンケイスポーツ、 23年2月15日)と笑いを誘っている。

 

ちなみに、今や世界のスーパースター大谷翔平選手(30・LAドジャース)は、18年、ロサンゼルス・エンゼルスでの初キャンプインでの会見で「バレンタインでチョコはもらったか?」との記者の質問に、「1個ももらっていません」と答えている。

 

■バレー界のアイドルには4トントラック4台分のチョコ

 

近年は、石川祐希(29・ペルージャ)や高橋藍(23・サントリーサンバーズ大阪)らイケメン選手が活躍する男子バレー界。石川のインスタのフォロワー数は195万人を数えるなど、ここ数年人気が過熱しているが、チョコの数では彼らの大先輩が伝説を残している。

 

「80年代後半にアイドル的な人気を誇っていたのが川合俊一、熊田康則、井上謙という男子バレー界の“ビッグ3”。85年のワールドカップで活躍し、大ブレーク。女性誌で特集が組まれ、写真集も出版されるほどでした。とりわけ、甘いマスクで男子バレー界のヒーローとなった川合俊一の人気はすさまじく、バレンタインには4トントラック4台分のチョコが届いたというエピソードがあります。現在はバレーボール協会会長を務め、タレントとしても活動している川合の“モテ男伝説”はバレー界屈指でしょう」(前出、スポーツ紙記者)

 

相撲界はどうだろう。“角界随一のイケメン”との呼び声も高い遠藤(34・追手風部屋)は、相撲協会による「お姫さま抱っこ企画」(定員6人)に8132件の応募が殺到するほどの人気ぶり。入門後、初となるバレンタインとなった14年には、部屋に段ボール5箱のチョコが届いたとか。

 

「当時、“角界のジャニーズ事務所”と言われたのが、若花田(後の横綱・若乃花)と貴花田(同横綱・貴乃花)の若貴兄弟が所属していた藤島部屋。91年の『若貴ブーム』では若い女性ファンが急増。部屋に500個以上のチョコが届けられました。とくに貴花田には毎年のように400個以上のチョコが届いていましたが、意外にも、番付が上がるのに比例して、贈られるチョコの数は激減。横綱時代は一桁台だと話していました。強すぎると、女性ファンが減るのかもしれませんね」(前出、スポーツ紙記者)

 

■Jリーグ創世記に“チョコの得点王”に輝いたストライカー

 

アイドル級の人気を誇ったアスリートたちといえば、93年にはじまった黎明期のJリーグを牽引したレジェンドたちも忘れてはいけない。

 

「94年のバレンタインには、人気選手が多数在籍していた『ヴェルディ川崎』のクラブハウスに段ボール50箱が到着。5000個のチョコで、クラブハウスは足の踏み場もないほどに。もっとも多かったのがFW武田修宏。段ボール10箱、数にして1000個ほど。そのモテっぷりは飛び抜けていました」(前出、スポーツ紙記者)

 

SNSのフォロワー数ではなく、バレンタインのチョコの数で人気を測っていた時代が、たしかに存在したのだ。

 

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出典元:

WEB女性自身

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