「誰が見てると思うてるん? おばちゃんやろ!!」
夏の太陽が照りつけるグラウンド。ユニホーム姿の数十人の子どもたちの輪の中心に、その人はいた。すっかりしわがれてしまった年季の入った声で、額の汗を拭おうともせず、彼女は子どもたちにハッパをかけ続けていた。
「おばちゃんが後ろで見てんねん、あなたがたがどんだけ一生懸命やってるかを! 一球でもいいから、懸命に練習している姿を見せろや! それが積み重なったらどうなるん? うまくなるやろ! うまくなろうとする気持ちで練習せな。わかった? わかったなら、はい、いこう!!」
女性の名は棚原安子さん(85)。1972年、ここ大阪府吹田市に、夫の長一さん(87)と2人で学童野球チーム「山田西リトルウルフ」を立ち上げた。それから、すでに半世紀。御年85になったいまも、安子さんは毎週末、グラウンドに立ち、信じられないほどエネルギッシュに動き回り、ノックバットを振り続けている。
「サプリメントいうの? 一度、そういう会社から『コマーシャル出ませんか?』って連絡きたんですけど。でも、私はそんなの全然、飲んできてないし。『いまさら、サプリで元気や、なんて言えない』って断りました。私の元気さは、ウルフの子らのおかげなんで(笑)」
それにしても、気になるのは「おばちゃん」だ。
安子さん自身、自ら「おばちゃん」と名乗り、子どもたちはもちろん、グラウンドにいる誰もが彼女を「おばちゃん」と呼ぶ。チームの公式ホームページ、「スタッフ一覧」を見ると夫・長一さんは「会長」と紹介されている。大所帯のチームにはそのほか「名誉顧問」「代表」「審判員」、それに、各学年担当の「監督・コーチ」の名がずらりと並ぶが、安子さんの名前に添えられた肩書は、やっぱり「おばちゃん」だ。
「私ね、偉そうな肩書付けられるの、嫌いなんです。偉そうな肩書で、権力者みたいに振る舞うこと、できないんです。権力振りかざして子どもらを指導したら、あかんと思うから。大人は子どもと比べて人生経験がある、その経験を子どもらに話して聞かせるだけでいい。子どもたちとは、常に人対人、関係は対等だと思ってるから。だからこそ、私はいつまでも『おばちゃん』でいいんです」
野球人気が高い大阪でも“マンモスチーム”として知られる山田西リトルウルフ。これまで1千500人近い子どもたちが、ここを巣立っていった。“卒業生”のなかにはプロ野球のオリックスで活躍し、昨シーズン限りで現役を退いたT-岡田さんもいる。
「でも野球は難しい。そんだけの数の子がおっても、プロまでいってんのは岡田、1人だけです」
こう言って、豪快に笑ってみせた安子さんだが、チームは野球技術の向上を、指導の第一義には置いていない。まして、甲子園やプロを目指すような選手を育てたいとも、安子さんは思っていない。「世の中に出てからも働ける子を育てたい、社会で生きていける力を身につけさせてやりたい。目指してんのは、それだけなんです」
チームを作った当初から、安子さんには危惧があった。
「子どものお母さんたちのありさまを見ていたら、ほんと心配だったんです。若いお母さんたち、まるでペットをかわいがるかのごとく、なんでもかんでも手を出して、過保護に子どもを甘やかして。自分のことを当たり前にできない、そんな子どもばっかりでした」
だから安子さんは、道具の片付けやユニホームの洗濯、家庭での食器の上げ下げ、なにからなにまで「自分のことは自分でせい!」と、団員たちを厳しく指導する。そして毎年春、入団してくる小学1年生たちを前に、おばちゃんは決まってこう告げるのだ。
「“ペット”生活は、今日からやめなあかんで──」
