■「お兄ちゃん、頑張って」。金メダルは難病に苦しむ妹との約束だった
妹・久美子さんの病。それは、葛西紀明の競技人生に、新たな意味を与えた。
「お兄ちゃん、頑張って」
妹のその一言が、勝つ理由になった。1993年、リレハンメル五輪の前年。久美子さんは再生不良性貧血と診断され、医師からは余命5年と告げられる。妹の久美子さんは当時高校1年生。一方の葛西選手は待望のW杯初優勝を果たし、2度目の五輪出場を決めていた。若手有望株の1人から、「世界で勝てるジャンパー」へと評価を押し上げた時期でもあった。五輪を前に、久美子さんにこう約束したという。
「金メダルをすりおろして、久美子に飲ませてやるんだ」
冗談とも本気ともつかない言葉だったが、葛西選手のなかでは、はっきりとした誓いだった。
「妹のために、絶対金メダルを取る。それだけでした」
結果、ラージヒル団体で銀メダルを獲得。自身初の五輪メダルだった。日本スキージャンプ界のレジェンドとしての幕開けであると同時に、日本ジャンプ界が再び世界と戦えることを示した大会でもあった。
久美子さんは5歳年下。幼いころは、姉よりも妹と遊ぶ時間のほうが長かったという。
「山や川で遊んで、家の裏にあるゲレンデでは、夜遅くまでスキーを滑っていました。ジャンプもやったような……でも、転んでた気がします(笑)」
病気がわかってからは、無菌室での生活が続いた。遠征中は、いつ何が起きてもおかしくないという不安が常につきまとった。
「気持ちが競技どころじゃなくなるときも、正直ありましたね」
それでも飛び続けた。飛ぶことで、妹を勇気づけられると信じていたからだ。
「いちばん喜んでくれたのは、オリンピックでメダルを取ったとき。リレハンメルとソチですね」
ソチでは、個人で銀メダルを獲得する。41歳、7度目の五輪。20代で妹の病を知ってから、およそ20年。その時間のすべてを背負って飛んだジャンプでもあった。久美子さんは2016年、母と同じ墓に入った。38歳だった。欧州遠征中だった葛西選手は、喪章をつけて競技に出場した。自己最長にならぶ大ジャンプを見せる。「最高のジャンプを妹に届けたい」という思いで戦い抜いた。
母に「家を建てる」という約束は果たせなかったが、その代わりに、母と妹のために大きな、大きな墓を建てた。
「見えですね(笑)。負けず嫌いなんで。両隣のお墓には負けたくない」
宮古島合宿で目にして以来、「これを建てたい」と思い続けていた沖縄風の家のように大きな墓。故郷・北海道の下川町では一目でわかるほどの存在感だという。それは、家族への感謝であり、かつて交わした約束のかたちでもある。母のために飛び、妹のために勝つ。葛西紀明のジャンプ人生は、いつも「誰かのため」に支えられてきた。
