■「生かされた意味を果たしたい。障害者になったことには挫折もジレンマもありません」
「現在の私は、ヘルパーさんに24時間体制でお世話になっています。朝9時と夜9時に、交替で担当してもらっています。そのほか、排泄ケアが週2回、訪問入浴もお願いしている。私は、障害者のなかでも最も重い『重度障害者』なんです」
朱色のアンテナ塔が聳える東海大学湘南キャンパスの中庭で、車いすに座った山下さんが、いまの生活について語る。
研究室のあるフロア内の移動は、車いすをスタッフに押してもらう。広いキャンパスで離れた校舎に向かう場合は、スロープを搭載した車いす仕様車に乗って移動。つねに複数人のサポートが必要となるのが、事故以降の日常だ。
「これだけ多くの、周りの方々に支えられ『生かされている』ことに感謝の気持ちがあります。だから、障害者になったことには挫折もジレンマもありません」
さらに「適切な表現が難しいのですが」と前置きして続けた。
「この状況になったからこそ、初めて感じられる幸せもあります」
現役時代から30キロ以上、事故前から10キロ以上も体重が減り、肺活量は3分の1に、食欲も4分の1ほどまでに落ちた。
動かせない体は血行不良になりがちで、皮膚が赤くただれる褥瘡(じょくそう。床ずれのことで重篤になれば感染症や壊死を起こす)の治療で入院することもある。
そのような、ありのままの姿を取材で見せるのも、山下さんに言わせれば「学生たちに説いてきたとおりに、私自身が生きているだけのこと」なのだという。
「誰の人生にも運や不運、出会いと別れ、感動と挫折が起きるもの。それをどう受け止めるかは、その人次第なんです。それならば、できるだけ前向きに、ポジティブに受け止めたほうが、人生は実り多くなるはずです」
柔道の創設者・嘉納治五郎師範が説いたのは「精力善用」の精神だった。
「自身の力を社会全般に活用しなさいという教えです。学問・スポーツを通じて得たものを社会貢献によって還元してほしいんです」
ハンディキャップを抱えたことで、社会福祉を受ける側に身を置くことになった。そんな巡り合わせを積極的に受け止め、発信することが現在の自身の役割であり、そこに幸せを感じているというのである。
「’20年東京大会のレガシー(遺産)のひとつは、パラリンピックを通じて障害者スポーツへの見方がガラリと変わり、バリアフリー化がずいぶん進んだことでした。
日本が本当の意味でインクルーシブ社会に成長するための出発点となったのではないでしょうか」
インクルーシブ社会とは、障害の有無や人種、性別などにかかわらず、すべての人が共生できる社会のこと。この実現も、嘉納師範の「自他共栄」の理念に通じるものだ。
「いまの日本社会は『誰もが生きやすい社会』と言い切れないのが現状かもしれません。 私一人が動くにも、多くの人の手助けが必要なのですから。ゆえに、私は発信し続けなければならないと思っています」
こう切々と語る山下さんの横を、数人の学生が、語り合いながら通り過ぎていった。「世界のヤマシタ」の活躍を知らない世代だが、彼らにこそ、山下さんは期待を寄せている。
「いまの若者には、非常に素直さを感じています。彼らには意識して、自分のいる狭い範囲ではなく、社会へ、広い世界へ視野を広げてほしいんです」
それを切に伝えたいからこそ、「不自由な姿をさらすこと」にも「なんの恐れもなかった」のだ。
「ええ。いまの私は『生かされた意味を果たしたい』という思いのほうが、はるかに強いのです」
そう言い終えると、山下さんは車いすを介助者に押してもらい、研究室へとゆっくり戻っていった。その大きな背中が、なにより雄弁に伝えていた。いまを生きるということを――。
(取材・文:鈴木利宗)
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