ルネサンス期を代表する画家・ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』。愛の女神の誕生シーンを描いた歴史に残る名作だが、大きなホタテ貝とともに描かれており、ホタテ貝は豊穣の象徴だという。自然や心の豊かさを求めて、フランスから日本にやってきた佐々木イザベルさん(43)。東日本大震災がきっかけとなり、岩手県大船渡市に移住した彼女は、この地で思いがけず“愛”とも出会うことになったーー。
真っ青な海面は、ゆらめく波光でようやく水平線の位置がわかるほど、日本晴れの秋空に溶け込んでいた。リアス式海岸の入り組んだ岩場が切れたあたりで地形は緩い湾形となり、その最奥部に漁港の船着き場が見える。
岩手県大船渡市三陸町、越喜来湾にある小石浜漁港から、一艘の漁船が出ようとしていた。
「シェリ、ペンズレ上げて!」
日に焼けて、顔に皺を刻んだ海の男が大声で呼びかける。
「ウィ(はい)!」
歯切れよく返事をしたのは白い肌にブロンドの髪。ヨーロッパ系とわかる長身の女性だ。シェリとはフランス語で愛する人への呼び名。
ペンズレというのは、コンクリートの岸壁にぶつかって船体が傷つかないように、船の縁をカバーするクッションのこと。
そう、2人は漁師の夫婦なのである。イザベルさん(43)がホタテ養殖業の二代目である佐々木淳さん(52)と結婚して、もうすぐ3年になる。
「子供のころ『桃太郎』の仏語訳絵本や、6歳から始めた空手の専門誌を読んで、ニッポンに興味を持つようになりました」
フランスで生まれた彼女は、’02年に留学生として初来日し、京都大学で学んだ。’11年3月の東日本大震災発生の翌月から大船渡市にボランティアとして入り、がれき撤去などに携わった。
その後、震災復興から地域復興へと関心は移っていったという。
「被災地の方々が、以前の生活や活気を取り戻していくのを後押ししたい、もっと地域を活性化したいと思うようになったのです」
自国の文化へのプライドが特に高いともいわれているフランスで生まれ育った彼女が、なぜ遠い島国・日本を目指し、永住の地と決めたのか。そこには彼女の、日本文化へのリスペクト、そして日本で育んだ愛の物語があった。