(写真・神奈川新聞社)
ロックバンド「アジアン・カンフー・ジェネレーション(アジカン)」が4月に結成20周年を迎えた。関東学院大(横浜市金沢区)の軽音楽サークルで出会った4人は、横浜にあった「CLUB24」や東京・渋谷、下北沢のライブハウスで活動を続け、2003年11月にアルバム「君繋ファイブエム」でメジャーデビュー。プロ始動10年目には、横浜スタジアムでコンサートを行うなど、誕生の地での活動を大切にしてきた。ベースの山田貴洋(39)は「僕と後藤(正文)は静岡出身だけど、アジカンは横浜で生まれたバンドということを知ってほしい」と願う。4人が思いを育んだ横浜で曲を耳にすると、ハマ風に乗った音符が跳ね、加速しているように感じられる。
2日に40歳になったボーカル・ギターの後藤は、大学進学のとき静岡から神奈川に移住。「横浜の駅ビルがなくなったり、暮らした20年の間の変化はでかすぎるけど、街に文化の芽みたいなものがあって、東京とは別の面白さがある」と街への愛着を語る。
大学卒業後は、練習時間と活動費用を捻出するため4人とも正社員で就職する道を選び、夢を追いかけた。ボロボロの車に機材を積み込みライブに出演した7年間の下積みでは、見向きもされず、駐車場代金の支払いに苦労したこともあった。
国内外でライブを行うなど経験を重ね、“成人”したバンド。技術や演奏環境など、手にしたことも多いが、後藤は「冒険心を失っていないだろうか」と疑問がわいた。大きな区切り。「老け込んでいる場合じゃない」と、50万枚以上を売り上げるバンド最大のヒット盤「ソルファ」(04年)を全曲再レコーディングしようと提案した。
横浜出身のギター・ボーカルの喜多建介(39)は、「ソルファは僕らにとって2枚目のアルバムで、たまに聴くと、恥ずかしいなぁと思うときもあった。でもゴッチ(後藤)から、丸々1枚とり直したいと聞いたときは、『無謀だな』と思った」と当初を回想。ところが、「『いまの体力(技術や知識などを含めて)でやろうよ』と言われて徐々に楽しくなりました。いい曲が多いなぁと思いましたし。バンドが成長するために必要だったと感じます」。
鎌倉生まれのドラム、伊地知(いぢち)潔(39)は「当時は、ないものを作り出そうと必死で、見えたものには何かすごい発明をしたような気持ちでいた。年を取るとリミッターがかかって、振り切ることがなくなってしまう。いまの自分に足りないこと」と20代の自身から学ぶところがあったよう。
「人生の半分、バンドをやっている。人生の半分も一緒にいる…」と苦笑いした4人。抱えていた違和感を自ら払拭(ふっしょく)し、音がつないだ絆はさらに強くなった。
“新生ソルファ”を携え、17日の幕張メッセ・イベントホール(千葉市美浜区)から全国5カ所でライブも行う。「『ソルファ』の曲はもちろん、普段やらない曲をたくさん挟んで、お祭り感があるライブにしたい。もうちょっと転がっていこうと思っている」と未来を見つめた。
今回のレコーディングは東日本大震災後に制作した「ランドマーク」(12年)などと同様、横浜のスタジオで取り組んだ。「藤沢ルーザー」「長谷サンズ」など江ノ島電鉄の駅名をタイトルに取り入れたアルバム「サーフ ブンガク カマクラ」(08年)など神奈川に縁がある作品も多い。後藤は、「『サーフ~』や『八景』など、アジカンには神奈川の風景を歌った曲があるので、大学がある京急(電鉄)の列車接近音に使用してもらえないかな。『リライト』とか、京急の方、どうでしょう」と笑った。