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2月某日 東京

相変わらずイタリアと日本の往復生活が続いておりますが、9万5千キロの飛行機移動が、徐々に山手線で半周くらいの感覚に近くなってきました。人間何事も慣れなのだなあと、身体を張った経験のおかげで実感しておりますが、それはおそらく、今の自分には“そんなことなど些細な負荷に過ぎない”と思える仕事をしているせいもあるのかもしれません。

『新調45』で連載している、とり・みきさんとの合作である『プリニウス』の単行本2巻が、いよいよ刊行されました。早速読んで下さった方たちからは、1巻に引き続きその緻密で手抜きの許されぬ描き込みっぷりに、口々に「画力プロレス対決」とか、「どっちも容赦なし」「取っ組み合い合作」などという感想を受け取りました。

画力プロレス対決……、確かに2巻では舞台が都市ローマに移り、海や山といった自然を描くのと比べて人間の生活空間の描写は、密度も高くなっています。とり・みきさんはその突出した画力エネルギーを、ローマという街の表現にあますことなく注いでくださっているわけですが、私も人種の坩堝である大都市ローマに生きる人々を、自分のイメージに忠実に描かなければと脇目も振らずの状態でした。

合作やり始めのころは、確かにベテランであるとりさんの緻密で精巧な背景に釣り合う人物を描かなければヤバい! と自分を奮い立たせていたところがありますが、今では正直なところ、技法の調和や画質の同一性を考えることはなくなりました。

何しろとりさんが、ご本人も仰っているように、この漫画制作行程で最終段階で「特殊技術」を仕掛けることによって、誰が何を描いたのか、担当したのか、なんてことはほとんど重要性を持たない仕上がりになるからです。

最初から私もとりさんも、「ストーリー展開をセリフだけに依存するのでなく、絵でも何かが伝わる、読者の視線が、一コマ一コマからなかなか移動できない漫画にしよう」という思惑を抱いていました。

でも何よりも、やはり描こうとしているのが、今では考えられない膨大なテリトリーを持った大帝国の姿なので、格闘しているとすれば、それは「とり・みき」VS「ヤマザキマリ」ではなく、「とりマリ」VS「果てしなく壮大なテーマ」ということになるかもしれません。

この連載を始めようと思い立ったときに、とりさんに合作のお声がけをしたのだって、「古代ローマという巨大なテーマの表現を、思い描いているあの時代のリアルさに近づけようと思うのなら、1馬力では絶対無理」と確信したからでもあるわけですが、案の上、2人一緒に頑張っても、古代ローマに吸い取られる労力は半端ありません。

私もとりさんも、イタリア―日本と離れての作業ですが、お互いだいたい似たような資料を参考にしているわけです。私の場合、そういった資料にしばらく埋もれた状態で考証をしながらストーリーを練り、プロットを文字に起こしている段階で、既に2千年前に現代にあってもまったくおかしくないインフラ設備や都市構造、そして人間の精神性を盛り込まずにはいられなくなってしまいます。

それを丸と線だけで描いた粗雑な有様のネームに直し、とりさんには大体のストーリーの構造や流れの説明をするわけですが、その時点で恐らく彼の頭の中にも、私が思い描いている複雑で中途半端な表現では許されないローマの様子が、資料越しからも浮かび上がってくるのでしょう。

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