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2月某日 北イタリア・パドヴァ

初めてバレンタインデーという、日本のネオ風習に乗っかってチョコレートを男性にあげたのは、小学6年生の時でした。周りには好きな男の子にチョコレートをあげるという、当時にしてみれば随分ませた少女たちもいましたが、私は最初から義理チョコという名目でのイベント参加だったので、子供でありながらもこの胡散臭い風習のありかたを客観的に捉えていたのでしょう。当時の担任の先生にその辺で売られている普通の板チョコをろくなラッピングもせずに渡した記憶があります。

 

中学生のころは、上級生に片思いをしている友人のチョコクッキー作りに加勢をしたことがありますが、彼女が完成したそのクッキーをやたらヒラヒラしたレースのナプキンにくるんだり、可愛らしい箱に詰めているのを見て「私が男ならこんなの絶対欲しくないな」としみじみ感じたものでした。「どうせなら、どんな呪文がかけられているかもわからないこんな手作りのチョコクッキーではなくて、滅多に食べられない専門店の美味しいチョコレートを貰いたい」などと、まるで貰う立場からそんなことを考えてしまっていたのは、単に私が、子供の頃から無類のチョコレート好きだったから、だと言えるでしょう。

 

イタリアであろうと日本であろうと、今現在も私は自分の居る場所にチョコレートを欠かすことはありません。飛行機などでの移動の最中も、車の運転中も、常備薬のようにチョコレートは必ず鞄に入っています。ご飯は食べなくてもチョコレートがあれば平気、と思ってしまうくらいやばいレベルの依存度ともいえますが、量は一口でもあれば十分なので、それが理由で身体を壊した事もありません。

 

そう、チョコレートは一口でいいのです。ただ、この一口が無いとなると、私はたちまち精神的なバランス失調状態に陥ってしまいます。自分のメンタルの調和を構成している大事な部品が欠落しているような、心もとない感覚とでも言うのでしょうか、様々な依存症の禁断症状のように手が震えたり身悶えしたりすることは無くても「あっ、今日はあの味を感じてない!」と思った瞬間から、たちまち仕事への集中力が散漫になってしまうのです。

 

物心がつき始めた頃から、近所の食料品店に新製品のチョコレートが入荷されると、それを片っ端から試すのが楽しみで仕方がありませんでした。50年間生きて来て随分いろんなことを忘れてきましたが、今でも昭和40年代半ばから発売された大手のお菓子会社の製品の写真などを見ると、全てそのパッケージから商品の味の記憶が蘇ってくるのですから、それには自分でも感心せずにはいられません。あの時代のお菓子の記憶選手権なるものがあったら、私はかなり良いところまで行けるはずです。

 

我が家は母親が極度に市販のお菓子を嫌う傾向の人だったこともあり、街のお菓子屋さんで作られた日持ちしないお菓子か、または愛読雑誌『暮しの手帖』の料理記事に掲載されたレシピで作った手作りお菓子しか食べさせてくれない人でした。それが市販菓子への熱意のきっかけになったと思われます。

 

人間というのは、極度の規制を課されると、必ずどこかで歪みが発生するようにできている生き物です。スーパーマーケットや食料品店に行けば溢れんばかりに様々なお菓子が売られているのに「そんなの食べたら身体に毒だからダメ!」と母から厳しく言われて育った私は、彼女が仕事で留守をすると必ずこっそりそういった“身体に毒かもしれない”というお菓子を調達するようになっていったのでした。

 

そんな中でも特に自分の心を鷲掴みにしてくれたのがチョコレートだったわけです。チョコレートはケーキやクッキーと違って、基本的に家庭で作れるお菓子ではありません。こればっかりは、どこかで作られたものを食べるしかない。それもチョコレートにハマった大きな理由のひとつと言えるでしょう。

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驚きと感動をもたらす芸術的チョコレートの衝撃

以来、チョコレートの味には自分なりのこだわりを持ちながら成長してきましたが、市販されていたものの中でも気に入っていたのはオーソドックスな明治のミルクチョコレートか、ロッテのガーナチョコレート。不二家のパラソルチョコレートやスティックを持ってひたすらぺろぺろ舐めるペロタンというアメだかチョコだか判らない、長持ち重視のケッタイな駄菓子的チョコレートも好きで、金欠だった時の私にとって強い味方だったのは一個10円のチロルチョコレートでした。中学生の時に病気で入院した時、同級生たちがカンパで集めた見舞金で買ってきてくれたのは、山のようなチロルチョコレートでした。もう、見ているだけで嬉しくて嬉しくてたまらなかったのを覚えています。チョコレートは味覚や食感も大事ではあるのですが、私にとってはやはり、このお菓子に憧れてやまなかった子供時代の記憶との相性なども、嗜好の要素になっているのは確かです。

 

その数年後にイタリアへ渡った私は、日本のチョコレートの味から離れて、この土地でのチョコレートに適応しなければなりませんでした。イタリアではバーチ(キスという意味)という、ヘーゼルナッツが入った丸いチョコレートが国の名産みたいになっています。バーチは今現在もスーパーから煙草店、免税店に及ぶまでイタリアの代表的なお菓子として横行していますが、私はこれが実はあまり好きではありません。

 

それよりも、ヌテッラというヘーゼルナッツ・チョコレートペーストや、このヌテッラの会社が出しているキンダーという白いミルクチョコレートと茶色のチョコレートが二層になっているシリーズが美味しくて、未だに食べ続けております。でも正直イタリアは、チョコレートだけではなくお菓子全体という意味でも、それほど技術や味覚が開拓されている地域とは言えません。同じヨーロッパであれば、やはりベルギーやフランス、スイス、ドイツ、オーストリーなどのチョコレートが圧倒的にレベルが高いと言えるでしょう。

 

そんなわけで、世界を点々としてきた人生にともなって、私はあらゆる国のチョコレートを食べてきました。日本の市販チョコレートもどんどん進化していますが、新製品が出ればチェックするのは必須です。そんな中でもどのチョコレートが自分にとって最高だったか、選択するのはなかなか難しかったのですが、今年、フランスで驚くべき美味しさのチョコレートと出会いました。

 

一般的にベルギーのものよりも大人向きの味と言えるフランスのチョコレートはここ数年に渡って私のお気に入りでもあり、日本に出店しているお店もいくつかあるので東京に滞在中はわざわざそれらを調達しに行ったりもしますが、先日テレビの取材で訪れた、マドレーヌ寺院のそばに店を構えているパトリック・ロジェ氏のチョコレートは、衝撃的でした。ロジェ氏の作るチョコレートは、もう単なる職人の技の域を超えているように思えます。

 

この人はブロンズなどの彫刻も手がける、要はチョコレート職人兼創作家でもあり、彼の作るチョコレートは一口食べただけで、まさに素晴らしい芸術作品を見た時や、素晴らしい音楽を聴いた時のような“うわー”という驚きと感動を味覚にもたらす効果があるのです。例えこの人のチョコレートが一粒3ユーロや4ユーロだとしても(実は結構高価)、それで数日はこの味覚の感動に浸れますから決して損はないでしょう。

 

まるでこの店の回し者のような文章になってしまいましたが、そのうちパリを訪れる機会があったら、是非試してみて下さい。まさに、チョコレートというお菓子文明の進化を感じさせられる味覚です。

 

ちなみに欧州ではバレンタインデーは男性が女性にプレゼントを贈るのが常識です。プレゼントは何でもいいのですが、やはりチョコレートが情熱と甘さの表現として最適なのか、この時期に街へ繰り出すとお菓子店ではチョコレートがてんこ盛りに売られています。そして私は、パトリック・ロジェでなくていいから、できれば美味しいチョコレートを周辺の男性から受け取れたら良いなあ、とまるで日本の男子学生のような心地でバレンタインデーを待機しているのでした。

 

ま、誰もくれなくても自分で買いに行きますけどもね。

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