「知力も体力もひ弱ではありましたが、納得できないこともありました。翔子だけがずっと私と手をつないで登校するように、と言われたり、翔子は2歳からYMCAの水泳教室も通っていて、問題なく泳げるにも関わらず、プール学習も私だけが付き添わなくてはならない。しかも皆と違う色の帽子をかぶせること、両手に浮き輪をつけることなどをいわれました。理由を聞くと、『障害者が事故を起こすことは許されない』という理由でした」
万一の事故を恐れる事情は分かる。しかし、万に一つ起こるかもしれない最悪の事態を恐れていては、ダウン症の子を強く育てることはできないと泰子さんは考えている。
「それでも、ある担任の先生に『いつもお手数掛けてすみません』と申し上げると『そんなことはありませんよ。翔子ちゃんのいるクラスは、彼女がいつもビリの役目をしてくれるから、全体が優しい雰囲気になれるのですから』と言っていただいて救われたこともあります。
運動会でも、余裕でビリなのですが、自分より遅いお友達がいると待っていて、手をつないで走ったり。最後にゴールするとテープを貼ってくださるから、いつも悠然とテープを切るのです。
ただ、そうはいっても翔子が邪魔になっているのでは、と申し訳なく思うこともありましたが、『ビリの役目』を担うという翔子なりの存在意義がわかってきて、このままずっと上の学年まで通うものと思っていたのです」
翔子さんが苦手とするのは、数の数え方。数列障害である。
数の概念、時間の概念がどうしても理解できないという特徴がある。しかし、それも翔子さん流に乗りきっているのだと泰子さんは気づいた。
「たとえばお友達と『あっちむいてホイ』でじゃんけんをしているのを見ていると、グーよりパーが強いことはわからないのですが、翔子は相手の反応で、自分が出した手が強いのか、弱いほうなのかを判断しているの。そういう空気を読むのは非常に上手なのです。あと時間も苦労しましたが、時計は読めなくとも、翔子の体内時間というのがあるようで好きなテレビ番組がはじまるころにはちゃんとテレビの前に座っているのです。数字に関しては、なんとか翔子なりに乗り切っていけるのだと思うのですが」
そんな翔子さんだが、小学4年に進級するという春、心障者学級への転入を余儀なくされてしまった。
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