二十歳の個展以降、翔子さんは月に3回、柳田泰山氏の主催する『泰書會』で指導を受けはじめた。
自宅から電車を2回乗り換えて、片道50分ほど。日本橋の本部まで一人で通い、3年になる。
「柳田流は先代からの筆法に惹かれ独身時代から入門していたのですが。精密の極みともいえる、どんなに崩しても崩れない美しさがあり、翔子には一から習得させたいと思いました。
特に翔子が行きたくない、とか辛いと言ったことは一度もないけれど、書に関してははじめて味わう外の世界。厳しいことは当然で、辛いこともあったと思います」
ずっと無欲・無心で母娘で書を書いてきた翔子さん。師範級の会員の方々と肩を並べ一から学びはじめ、入会当時のプレッシャーをあらわす翔子さんの書いた散文がある。
《教室へ行く道は遠い、
教室へ行く道は暗い、狭い、
教室へ行く道は、ない
お家へ行く道は広い、
お家へ行く道は明るい》
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