徳島県鳴門市にある社会福祉施設「グッドジョブセンターかのん」。ここは、アーティストと障害のある人たちや一般市民も巻き込み、大量生産では生み出せない味わいある雑貨を次々に発表して「次世代型の新しいものづくり」と注目を浴びているブランド『スローレーベル』の製作の現場でもある。
作業する人たちを見守り、声をかける、つえをついた女性が栗栖良依(くりすよしえ)さん(37)。このブランドのディレクターだ。
スローレーベルの拠点は横浜、大桟橋と赤レンガ倉庫の中間に位置する象の鼻のテラス。昨年8月、そこで「ヨコハマ・パラトリエンナーレ2014」が開催された。この障害のある人とさまざまな分野のアーティストが一緒に取り組む現代アートの祭典で、記念すべき第1回の総合ディレクターを務めたのも栗栖さんだった。
「支援という言葉は好きじゃありません。海外のアーティストと何かやってみたらおもしろかった、というのと同じ感覚で、私は“障害のあるAさん”との仕事を楽しんでいるだけなんです」
東京都大田区で「ごく普通のサラリーマン家庭」に生まれた彼女は、東京造形大学を卒業後も、バイトをしながらアート作品の制作を続けた。とはいえ、絵画や彫刻ではない。
「市民参加型エンタテインメントです。演劇でも観客など不特定多数の人を巻き込む演出に興味があったんです。劇場の外にいる人に作品を届けたい、と思っていましたね」
だが、当時カテゴリーに当てはまらない作風は、どの業界でも異端児扱いだった。イタリアへ留学し、帰国して3年後の’09年、新潟の「越後妻有(つまり)アートトリエンナーレ」に作品を応募したところ、見事採用となる。
「映画を作りました。舞台は新潟の十日町商店街で、主人公の酒屋の息子が町を元気にするという作品。地元の300人くらいにも出演してもらいました」
栗栖さんが思い描く、“住民が主役となって新しい記憶と記録を作る”ソーシャルエンタテインメントが実現した。作品に賛同者も現れ始め、「次は徳島の神山町だ」と企画を進め出したそのとき、栗栖さんの右膝には、病魔が巣食っていた。’10年春、検査を受けると、いわゆる骨肉腫と判明。
4クール目の抗がん剤治療を終えるころ、足を切断して義足にするか、人工関節かの選択を迫られ、医師のアドバイスを受け、6月30日に人工関節の手術を。そして10月10日退院、松葉づえの毎日が始まった。
退院から半年後、栗栖さんは活動を再開。病気になる前から話を聞いていた横浜ランデヴープロジェクトのディレクターに就任。福祉作業所の障害者とアーティストによるものづくりというこの実験プロジェクトのなかで、立ち上げられたのが、前述のスローレーベルだった。
栗栖さんには、日々気になることがあるという。
「都会は暮らしにくい。スマホ見ながらぶつかってくる人、電車内で座席も譲られませんしね。その点、手術から4年たって、つえも2本から1本になり飛行機にも乗れます。たとえば徳島は、羽田から行けばその先はレンタカーで移動できるし、私にとってはかなりのバリアフリーな場所なんですね。ホッとします。ですから徐々に地方に軸足を移したいと考えるようになりました」
どこにいても、常に訴えるのは、障害者を変えるのではなく、社会の方を変えようということ。社会は障害者に自立を強いがちだが。
「人は誰でも1人では生きていけない。彼らの多様な能力を活かせる環境を社会全体で整えた上で、人と人が互いに補完し合うことが当たり前の世の中になればいい。そのとき、私は、つなぎ役になれると思うんです」
国も、業界も、地域も、そして障害者と健常者も、さまざまなボーダーを越えてきた栗栖さんは、たくさんの人をつないできた。鳴門市の「かのん」にも、そうして絆を結んだ人たちがいる。