6月11日土曜日、神奈川県の川崎市市民ミュージアム。吹き抜けの広々とした空間には、大小の段ボール箱が山と積まれ、周囲には10台の車いすが等間隔に置かれている。現代美術の国際的アーティスト・折元立身さん(69)による新作パフォーマンス、『車いすのストレス』である。その案内チラシにはこうあった。
《母を介護する折元さんにとって、車いすは不可欠なものですが、ときに介護から自由になりたいと思うこともあります。車いすにその思いをぶつけます》
やがて、折元さんがやって来た。ジーンズにスニーカー、ざんばら髪には白いバンダナ。40年以上にわたって活躍している“鬼才”は、しかし、2本のつえに頼って歩き、どうも体調が悪そうだ。
「実はひどい痛風になっちゃったのよ。昨日も夕方からはもう立てなくなって、こんな状況だけど、でも、やり遂げてみせますから!僕の作品は、すべてリアルな生活の中から生まれます。『車いすのストレス』というのは、夏のある日、『このくそ暑いのに、なんで車いすのバアさんにアイスコーヒーを飲ませようって喫茶店まで行かなきゃいけないんだよ、コンチクショー!』っていう、その思いが込められているんだよね。では、今日は参加型でやりますので、みなさん、よろしく!」(折元さん・以下同)
200人近い観客が沸く。声援とともに拍手が起き、挙手や指名で選ばれた男女9人が、車いすに乗った。「うおーっ、ストレス!」という折元さんのパワフルな掛け声に、同じく叫び声を上げながら、10台の車いすがいっせいに段ボールの山に突っ込んでいく。ゴツン、ガツンと音を立てながら、瞬く間にゆがむ段ボール。さらに体ごとダイブする人、蹴り上げる人−−。
「俺は毎日おばあちゃん(=母)のうんちをとっているから、そのなかで本物の感動を得ているんだ。俺の作品には人間の究極がひそんでいる。それは両極端のもので、思いやりと暴力。悲しみと幸せ。97歳のおばあちゃんの面倒を見ているんだぜ。正直、いいことばかりじゃない。逃げたくなることもある。うちのおばあちゃんの生きる力は強いよ。いい顔しているし」
折元さんが、アルツハイマー病の母親・男代さん(97)の介護をはじめてから、すでに20年になる。その最愛の母を作品に登場させる『アート・ママ』シリーズが、ベネチア・ビエンナーレで高く評価されたのは、2001年のこと。
とりわけ、小さな体に巨大な紙の靴を履いた『スモール・ママ+ビッグシューズ』や、折元さんと寄り添う『パン人間の息子+アルツハイマー・ママ』の作品写真は反響を呼び、“折元立身”の名を世界的なものにした。’02年にはロンドンの大病院に招かれてパフォーマンスを行った。以降、国内外でイベントを重ねるなか、折元さんは確信した。「アートには人を癒す力がある」と。
「ただ当初は、アルツハイマーの母親を題材にすることに葛藤もありました。外国人なんてはっきり批判するから。『ママの目が笑っていない』『ママは嫌がってる』と。でも、母の気持ちは息子の自分がいちばんよくわかる」
まだ言葉のやり取りができた頃、男代さんは自分の写真の掲載誌を見て、「出演料ちょうだい」とふざけたり、「私、世界で有名」と親戚に見せることもあったそう。
「おばあちゃんは現代アートなんてわからないけど、俺をずっと支えてくれている。父親が遊び人だったから、おばあちゃんは家計を支えるために、工場の草むしりや寮の賄いなど働きづめだった。’69年にカリフォルニア美術大学入学のため渡米したときなんて、送り出してくれたおばあちゃんの気持ちを思って泣いたもん」
『アート・ママ』シリーズは、六本木の森美術館で開催された「LOVE展」にも参加したのだが、訪れた美智子皇后がそれら作品の前でしばらく佇んでいらしたという。また、今年初め、パリでは折元さんの作品を集めた全4冊の書籍が刊行された。8月には、デンマークでのアートイベントに招かれ、来年はスウェーデンでの展覧会に参加する。
「俺は、本音を言えば、いますぐ日本を飛び出したい。でも、おばあちゃんには100歳まで生きてもらって、自分の家で死なせてやりたいと思ってきた。なのに自分が病気(痛風)になって、医者からは『お母さんより、あんたのほうが心配だ』と言われてる。ほんと、俺、どうすりゃいいんだよ」
叫びにも似た思いもまた、親の介護の、そして70歳を目前にした現実だ。折元さんは自問自答のように言う。
「それでも俺は作品を作り続ける。命がけで最後のあがきをやる。やっぱりおばあちゃんのこと考えると、ここ(日本)でがんばりたいと思うんだ」