8月21日、連日の猛暑にもかかわらず、島根県・隠岐諸島の中ノ島(海士町)は、海からの心地よい潮風が吹き渡っていた。面白いのは、町の施設のあちこちに貼られているポスターの「ないものはない」という言葉。
この日、県立隠岐島前高校(以下・島前高校)では「島留学見学会」が開かれた。本土からフェリーで約3時間の海士町に、全国各地から100人を超える中学生や保護者が集まった。校舎は島の高台にあり、敷地の裏手には抜けるように青い海の絶景が広がる。見学会は、常松徹校長(55)の挨拶から始まった。
「みなさん『ないものはない』という開き直った表現にビックリされたかと思います(笑)。でも同時に、こんな意味もあるんですね。コンビニやゲームセンターはないけれど、大事なものはすべてある。都会で失われた自然、ゆっくり流れる時間、濃密な人間関係などがここにはあります」
海士町の人口は約2,300人。全国の地方の町以上に過疎化の流れが容赦なく、地域唯一の高校である島前高校はかつて存続の危機に陥った時期があった。もし廃校になれば人口流出は加速し、島の生活そのものが危ぶまれる。島前高校の島留学は、じつはそんな地域の危機感から出発している。
その歩みをたどると、’07年、「島前(どうぜん)」と呼ばれる西ノ島(西ノ島町)、中ノ島(海士町)、知夫里島(知夫村)の3島が団結して「島前高校魅力化プロジェクト」をスタート。翌年には全校生徒数89人にまで落ち込むが、全島民挙げて高校を盛り上げた結果、いまや県外や海外からも多くの生徒が集まり、今年度の全校生徒数は180人とV字回復を遂げたのである。県外からの入学枠24人に対して50人以上が全国から志願し、推薦選抜では島前高校が県内最高の競争倍率になった。
島前高校が廃校寸前から、どうしてこのように活気に満ちたものになったのだろう。
’02年、過疎化が進む地域の改革に乗り出した山内道雄町長の命を受けた吉元操財政課長が、’06年から島前高校の存続をかけて日本中を奔走。ソニーで人材教育に取り組んでいた岩本悠さんを説得し、Iターン者として島に迎えた。
「島全体が魅力的になれば、島に住む人は増え、生徒数も増えるはず」−−そんな発想のもと、「魅力化プロジェクト」が始まった。そして’09年4月、のちに島前高校の名を全国に知らしめる活動がスタートする。高校生が地域の観光プランを競う「観光甲子園」(現・全国高等学校観光選手権大会)に出場することにしたのである。
このとき、島外生の男子生徒が、「都会では人間のつながりが弱いから、“人間体験ツアー”が喜ばれると思う」と提案。島育ちの生徒たちは「そんな、この島の人って魅力的かな」と最初は不安だったというが、地域の人たちの協力をあおいで、旅行者に「人の温かさ」を味わってもらうツアーを懸命に企画した。その名も「ヒトツナギ」。そして8月、なんとこのプランがグランプリを受賞したのである。生徒たちは自信に輝き、高校の魅力化プロジェクトにおいても画期的なものとなった。翌年には実際にツアーを敢行し、ヒトツナギは正式な部活動となっていく。
過疎化で消滅の危機に直面した島前高校。生徒数がV時回復をとげたそのうらには、地域を挙げての「ヒトツナギ」「島留学」など、ユニークな活動があった。そして、「地域おこしの成功例」として注目され、いまや日本中から生徒が集まるようになった。
島留学見学会に参加した中学生のどれくらいが、この島での高校生活を送るようになるのだろう。8月の港では、『蛍の光』の流れるなか、「また来てね。待ってるよお!」の声が幾重にも重なった。フェリーのデッキでも参加者たちが懸命に手を振り、汽笛の太い音が、まるで隠岐諸島の未来を祝福するように響き渡っていた。