’14年には市場経済効果が1,100億円を超え、バレンタインを抜く国民的イベントに“化けていた”ハロウィン。今では10月に入った途端、街はおばけカボチャのオブジェで埋めつくされ、月末には仮装した人が街にあふれるのが日本の秋の風物詩となっている。
もともとハロウィンは古代ケルト人の収穫祭と悪魔払いの祭り。10月31日は彼らにとって大みそかのような特別な日で、魔女がやってきたときに、仲間と思わせて魂を取られないために仮装する。
日本では’80年代初めにキデイランド原宿店で仮装パーティが行われ、’97年からは神奈川県川崎市でパレード、そして東京ディズニーランドでイベントがスタートし、徐々に浸透していった。
「われわれが『カワサキ ハロウィン』を立ち上げた20年前には、商店街や企業を回っても、『ハロウィンって何ですか?』という感じでした。まさか、こんな大きなお祭りになるとは……」
そう語るのは、「カワサキ ハロウィン」の総合プロデュースを行うチッタエンタテインメント・プロモーション本部長で、カワハロの1回目から関わってきた土岐一利さん(53)。そもそもカワハロのきっかけは、シネマコンプレックス(※複合映画館)・チネチッタの10周年記念で、「何かイベントをやろう」ということだった。
「そこで出たアイデアの1つがハロウィンでした。映画興行では秋は大作も少なく、手薄になりがちだったので、最初はホラー映画特集でもやろうと考えていました。そこに、ちょうどレイブははやっていて、2つを結びつけたらおもしろいのではとなったんです」(土岐さん・以下同)
レイブとは、ヨーロッパ発の、野外で大音量の音楽を楽しみ踊るイベント。
「DJを先頭に、テクノミュージックでダンスしながらハロウィンパレードをしようと計画しました。本来は、過激なノリの企画でのスタートだったんです」
ところが、いきなり道路使用許可という大きな壁が立ちはだかる。
「いわば歩行者天国に、先頭にDJを乗せたトラックを走らせようというんですから、警察側は、説明した途端に『とんでもない』『前例がない』と全否定でした」
しかし、土岐さんたちスタッフは引かなかった。
「なぜダメかの理由を聞いて、その問題点を解消するために周囲を説得して回ったり。『テクノで踊るって何だ?』と問われて、署員の前で実際に踊ってみせたこともありました(笑)」
20年前は、告知は主にチラシの時代。
「1カ月前になっても、参加者は10人くらいしか集まらなくて、急いで英文チラシを作って、六本木の外国人の多い店や横須賀の米軍キャンプに配りに行き、警察に無許可だと捕まったりも……」
結局、’97年10月31日、1回目のカワハロは、チッタ社の敷地内ともいえるチネチッタ商店街と隣接する2つの商店街だけという小規模で、なんとか開催にこぎつけた。仮装パレードに150人、沿道に500人と発表されたが、パレードの半分はさくらだった。
「でも不思議と、『来年はやめよう』の声は出ませんでした。幸いなことに、当時の人気情報番組『トゥナイト2』で取り上げられたりして、ちょっと注目もされたんです」
もちろん、やめられない理由はほかにもあった。
「当時、日本中の地方の町と同じく川崎も元気がなかったですからね。東京と横浜に挟まれてションボリというイメージ。そこを、ウチらしく過激にとんがったイベントをやって、逆に東京横浜の若者を川崎に呼び寄せたいと。だから最初から“チッタハロウィン”ではなく、“カワサキ ハロウィン”なんです」
いまや渋谷、六本木とともに日本3大ハロウィンと呼ばれる「カワサキ ハロウィン」。昨年10月31日の「カワサキ ハロウィン2015」には、川崎駅周辺1.5キロのコースに約3,000人が仮装パレードに集い、およそ12万人という歴代最高の人出があった。土岐さんは言う。
「警察署に日参していた20年前を思い出すと、3車線を使って、2トントラック4台が駅前大通りを走っている現在の光景は嘘のようです」