「着物は、着ている人だけでなく、まわりも華やかになり、笑顔に満ちあふれます。そんな素晴らしい文化を広げていきたいんです」。東京都調布市「さくら着物工房」の代表取締役を務めている鈴木富佐江さん(80)は、そう語りながら「さくら造り帯」に手を触れた。
彼女が68歳のときに考案した「さくら造り帯」は、体が不自由でも、手軽に着用できるように、あらかじめ「お太鼓結び」や「変わり結び」など形が作られている。着用するときは、ベルトのように巻き付けるだけ。
この帯で特許を取得した鈴木さんは、70歳のときに講師を養成するさくら着物工房を法人化。全国20カ所で教室を展開し、これまで3,000人以上の弟子たちに、障害者や高齢者でも楽しめる“バリアフリー着物”の魅力や着付け方を伝えてきた。鈴木さんが「さくら造り帯」を考案したきっかけは、65歳のときに患った脳梗塞だった。
「朝、歯を磨いていたら、右手に鉄の棒が入っているみたいに重くなり、すすぐために、水をふくんだら、口からダラりと……。結局、右半身が不自由になり、掃除機をかけることも雑巾掛けもできません。何よりショックだったのは、着物が着られなかったこと。帯を結ぼうとしても、背中まで手が回せなくなってしまったのです」
「錦織」などの美術帯のコレクターだった祖母の影響を受けていた鈴木さんは、子どものころから着物好き。銀行員時代は、接待などの“勝負服”はいつも着物だったという。
「呉服店に相談に行くと、帯を2つに切れば、帯を結べますと、提案されました。しかし着物を“生き物”を育てるように大事にしていた祖母のことを思うと、帯に鋏をいれるのは抵抗がありました。もう一度、着物を着たいと思いながら憂うつな日々を過ごしていましたが、ある朝、お風呂に入っていたとき、折り紙でいろんなものを作れるのだから、帯でも同じようにできないかと思いついたのです。浴室を飛び出して、さっそく帯を折っていました」
試行錯誤を繰り返したすえに誕生した「さくら造り帯」は、糸で10カ所ほどを縫い合わせて固定するだけ。糸をほどけば、帯は元どおりになる。その後も、鈴木さんは、長襦袢や着物などでも“バリアフリー着物”を発案した。これらをビジネスに結び付けたのは、どういう理由で?
「着物を着られた私の喜びを多くの人に伝えたいと思いました。そこで友達同士で、仲よしこよしでやってもいいでしょう。でも、それでは私の周囲だけでしか広がりません。厳しいけれど商売として取り組まなければ、私の思いは伝わらないと考えたのです。また私の病気が再発する可能性も。教室で教えることで、生徒さんには、私の分身のような存在になってもらい、思いをいつまでも伝えられたらと思いました」
現在、鈴木さんは、老人介護施設や障害者施設で、ボランティアの着物体験会を数多く行っている。
「着物を羽織るだけで高齢者や障害者の方々の顔がパッと明るくなります。そんな着物の魅力をもっと若い人や外国人に知ってもらいたいのです。今度の東京五輪・パラリンピックに集まる世界中の人たちにも、着物をぜひ体験してもらいたいですね」