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「何か世の中のためになることをしたいと昔から考えていたので、無謀なチャレンジとは思いませんでした。むしろ、このままやりたいこともやらずに死んだら私の人生はつまらないと思う気持ちが強かった。特別なことなど何もしていません。ただただ、やりたいからやっただけなのです」

 

そう語るのは、東アフリカの子どもを救う会「アルディ・ナ・ウペポ」代表・吉田千鶴さん(92)。吉田さんは、アフリカの子どもたちを救うために命を懸けて活動を続けてきた。

 

アフリカ東部の国・ケニアのマサイラマ国立保護区。国境を挟んで広がるタンザニアのセレンゲティ国立公園を含めた面積は、四国ほどの広さになる。広大なサバンナに生息する動物は数百万頭を数え、野生動物の楽園と呼ばれる。

 

1990年9月。当時65歳だった吉田千鶴さん(92)は、アフリカの動物愛護活動をする長男の愛一郎さんに頼まれ、支援物資を届けるためケニアに降り立った。夕暮れ時、保護区に足を踏み入れると、地面を蹴り上げる地鳴りのような音が聞こえてくる。あたりを見渡すと、ヌーの大群がサバンナを疾走していた。

 

ヌーやシマウマなどの草食動物は、餌となる草を求めて季節ごとにケニアとタンザニアの大移動を繰り返す。その数およそ200万頭。吉田さんが見たのはまさしくその光景だった。圧倒的な自然に出合った吉田さんは、いままで経験したことのない不思議な感覚に見舞われる。

 

「真っ赤な夕日をバックに、見たこともないような多くの動物たちがタッタッタッタッとひたすら大地を走り抜けていくのです。それを見て、表現できないような大きな力を感じました。誰かに『いま、あなたがやるべきことをやりなさい』と言われているような気がしたのです」(吉田さん・以下同)

 

数日前、ケニアの首都ナイロビでショックを受ける光景を見た。町を歩くと、おびただしい数のストリート・チルドレンがいる。いたるところで旅行者や外国人にまとわりつき、物乞いをする幼な子たち。近くで、荷物をひったくるよう指示する親もいた。初めてのアフリカ訪問で目にした悲惨な光景に、胸を痛めた。

 

「バブル期の余韻が残る当時の日本で、こんなにも貧困にあえぐ子どもたちを見たことがありません。生きるために子どもが略奪までしないといけない。『なんとかして助けたい』。心に浮かんだのはそれでした。だからマサイラマで何かに突き動かされるような気持ちになったとき、私がやるべきことはあの子どもたちを助けることだと確信したのです」

 

吉田さんの支援活動はそこから始まった。東アフリカの子どもを救う会「アルディ・ナ・ウペポ」(スワヒリ語で「大地と風」)を作り、’94年、ケニアに児童養護施設「グリーニッシュハウス」を、’95年には職業訓練所を作る。

 

「ハウスの空き地に畑を作って男の子には農作業、女の子にはビーズやカード、ソープストンという天然石を使った飾り物づくりを教えました。収穫物や作品は販売し、その売り上げを子どもたちがハウスを出るときに、支度金として渡すのです」

 

その後、ケニアの西隣にあるウガンダで、反政府ゲリラに誘拐される子どもたちを守るためのシェルターと職業訓練所を設置。

 

「ウガンダの子どもたちは昼間、草むらに潜み、夜になると誘拐されないような場所に列をなして避難してくる。幼い子たちが民家の軒先や駐車場で寝ている姿を見て、どうしても屋根のある寝場所を作ってあげたくなりました」

 

その際、所持金の約2,000ドル(約22万円)を子どもたちを支援していたウガンダの青年に渡した。有り金すべてを使ってしまったため、ケニアに帰るための交通費もない。宿泊したホテルのオーナーに事情を説明してお金を借り、ようやく飛行機に乗ることができた。

 

アフリカの子どもを救ってきた吉田さんだが、90歳を過ぎたいまも、まだまだ現役で活動を続けている。現在、吉田さんは神奈川県座間市の自宅などで過ごしながら、都内で開かれるアルディ・ナ・ウペポのミーティングに顔を出す。悪くした足を治療中のため、ここしばらくアフリカへは行けていない。現地のことはアルディ・ナ・ウペポの仲間に任せているが、治癒したらまたウガンダへ行きたいと語る。

 

「少しでも余裕のある人がそうでない人に振り向けること。そこに上下関係はありません。足りない部分を補ってともに生きられればいい。ケニアやウガンダでは、たまたま私が支援できる立場にいただけです。むしろ、自分がやりたかったことをやらせていただけたことに感謝しなくてはいけないと思っています」

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