疾走感あふれるオリジナル曲「暁口説」を演奏する印鑰理生さん=7月、那覇市の自宅 画像を見る

カンカラ三線奏者の印鑰理生(いんやくりお)さん(16)=沖縄県立鏡が丘特別支援学校高等部2年=が8月に米国の2カ所でライブを行う。2012年からカンカラ三線を弾き始め、夢だった海外公演を早くも実現させた。昨年11月の世界エイサー大会では、カンカラ三線を弾くきっかけになった元ザ・ブームの宮沢和史さんと「島唄」を演奏するなど、活躍の場を広げている。「カンカラ三線が普通の楽器として世界に通じるようにしたい」と夢を描く。

 

理生さんは東京生まれで、11年に沖縄に移り住んだ。国際通りで流れていたザ・ブームの「島唄」を聞き、三線の音に「雷に打たれた感じがした」。自分でも弾いてみたいと思い、気軽にできるカンカラ三線を手に取った。終戦直後、沖縄の人々が何もない環境でカンカラ三線を作り復興していったことに感動し、今もカンカラ三線にこだわっている。

 

カンカラ三線に特殊な音響効果を加えた「ロック三線」が評判を呼び、昨年は40回以上ライブをした。今年も12月までスケジュールが埋まっている。

 

不整脈や慢性肺疾患など複数の病気を抱え、3歳でペースメーカーを入れた。他の人より肺活量が少ないが、歌声は大きい。聴覚過敏で日常生活には苦労するが、音楽制作には役立っている。バンドの音がプリズムのように分かれて各パートがはっきり聞こえるという。音楽の楽しさと学校側のケアで今ではかなり体力が付いた。母の紀子さん(46)は「やりたいことを周りが応援してくれている。この子の特質を生かして活躍できる場所を用意できたらいい」と語る。

 

理生さんは12年に詩集「自分をえらんで生まれてきたよ」を出し、病気を前向きに捉えて紡いだ言葉が感動を呼んだ。今は音楽の道で「過去の自分を超える」ことを目指している。

 

8月の渡米は当初、ボストンのバークリー音楽大への短期留学だけを予定していたが、米国に住む知人の紹介でライブも決まった。23日にニューヨークのレンタルスペースで、25日にサンフランシスコのファーマーズマーケット内ステージでライブを行う。自らアレンジした沖縄民謡などを演奏する予定だ。「現地の文化を学び、いろんな人と交流したい」と意気込んでいる。
(伊佐尚記)

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