米オハイオ州ノースリッジビル市警察が、公式Facebookに長文のメッセージを投稿した。スピードの出し過ぎて違反切符を切られた18歳の男性へ宛てたものだ。この男性は制限速度35マイル(約56km)の道路を、およそ100kmオーバーの100マイル(約160km)で運転していた。
痛ましい事故現場を数多く見てきた警官にしか口のすることのできない、胸を打つ言葉の数々に1万4千件ものコメントが殺到。そのほとんどが「泣けた」「なんて素晴らしい手紙なの」といった共感を表すものだった。以下に抄訳する。
10号線で止められた18歳へ。
どういたしまして。私が君の車を止めたことで、言語に絶するクリスマスの悲劇を避けられたのだと思っているよ。自殺行為であるだけでなく、他の何の罪もない人々をも殺すところだったのだ。ただ君の前にいたというだけで。
君は、自分がそんなにスピードを出していたとは知らなかった、と言ったね。それは嘘だ。制限速度56kmのとことで72km出していたくらいならまだわかる。でも君は、160km出していたんだ。わかっていないはずはない。(中略)
私が止めたとき、君は怖がっていたね。目に見えて震え、息も上がっていた。残念ながら、君は怖がるのが1分遅かった。そして、怖がる理由も間違っていた。
君は、自分自身を殺そうとしていたことに恐怖を覚えるべきだった。
君は自分が無敵なのだと思っているのだろう。自分の死を予測することさえできなかったのだろう。
私は君に、今まで車から引っ張り出したことのある18歳の無残な遺体の話を、いくらでも聞かせてやれる。事故で投げ出され、バラバラになった遺体。識別もできない遺体。彼らは皆、自分が無敵だと考えていた。でも、違った。彼らは死に、私が彼らの親に子どもの死を伝えなければならなかった。親に「お子さんが亡くなりました」と言うたびに、魂の一部が消え去って行く。
私は君の両親を知らない。でも、これは知っている。君が家を出るとき、必ず「気をつけて。安全運転でね」と言うことを知っている。これはただの言葉じゃない。きっと無事に家に帰ってきてほしい、という願いを込めた最後の行動なのだ。(中略)
君が家を出るとき、親は君が車で死んでしまうのではないかと不安でたまらないのだ。何の関係もない人によって罪もないのに殴られる人もいれば、誰の心配もしない人もいる。今日、君は後者だった。
君は間違ったことをしてしまっただけの、とても良い子に見えた。
この違反切符が切られたことが残念だとは全く思わない。実際、私はこれを誇りに思っている。
今後、何カ月にも渡る支払いをすることになるだろう。支払いをするたびに、スピードを出すことにそれだけの価値はない、と思ってもらいたい。
スピードを落としてほしい。君のお母さんが「安全運転で」と言えば、君は必ずそうすると約束してほしい。そして、実行に移してほしい。
スピードを落としてほしい。お願いだ。君は無敵ではないのだ。私が約束する。