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「お母さんが作る伊賀牛をふんだんに使ったカレー、お父さんが淹れる美味しいコーヒーがお店の名物でした。お母さんは肺気腫を患ってからも酸素吸入器を持ちこみながら仕事をしていました。でも数年前に病状が悪化して、それからはお父さんがひとりで切り盛りするように。美人で小柄で、それでいてカウンターのむこうから楽しい話題を振ってくれたお母さん。お母さんのカレーの味が懐かしいですね……」

 

本誌にこう明かすのは、俳優・椎名桔平(54)の実母(享年78)が生前、三重県伊賀市で営んでいた喫茶店『Cafe Kip’s』の常連客だ。

 

椎名といえば、今季きっての人気ドラマ『3年A組 今から皆さんは、人質です』(日本テレビ系)で人情味溢れる刑事役を熱演。3月上旬に行われた打ち上げでは、昨年末に亡くなったばかりの母について“感動のスピーチ”をしていたという。

 

「打ち上げの挨拶で椎名さんは、目に涙をためながら『(母が亡くなった)そういうときにこのドラマの持っている、本当に若くて、無垢に芝居に向かっていく気持ちみたいなものが、自分を勇気づけてくれたんです』と語っていました。主演の菅田将暉さん(26)ら共演者たちもみんなもらい泣きしていました」(ドラマ関係者)

 

仲間に囲まれながら芝居に打ち込むことが、悲しみに暮れる椎名を少なからず奮起させてくれたのだろう――。椎名の親戚の1人は、母親の人となりをこう回想する。

 

「親戚の集まりでも、桔平のお母さんが加わると一気にその場が華やぐというか。太陽みたいな明るい人でした。お父さんはどちらかというと厳格な人やったから、その分お母さんはお兄ちゃんや桔平に優しく接してましたね。子どもたちがやりたいことをやらせてあげるという教育方針でした」

 

寛容な母だったが、大学卒業後に芸能界を志したときには猛反対していたという。だが、しばらくすると両親は息子を信じて芸能活動を応援するように。長い下積み時代には、母から椎名へこっそり仕送りをすることもあったという。そんな支えもあり、椎名は’00年に日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。30代半ばになって、ようやく俳優として脚光を浴びた。

 

「俳優業だけでゆとりのある生活が送れるようになった彼が最初にしたことは“恩返し”でした。地元では、商店街のメーンストリートに店を出すのがステータス。もともと伊賀市内で飲食店などを何軒か営んでいた両親に喫茶店を建ててあげたんです」

 

当初、老後はゆっくり過ごしてほしいと考えていた椎名だったが、両親は根っからの働き者。“家に籠るよりも客商売をしていたほうが元気でいてくれる”という思いからの贈り物だった――。

 

しかし、4~5年前に母が肺気腫を発症。母が入院してから、椎名は妻の山本未來(44)と息子(9)を連れ、頻繁に実家に帰ってきていたという。

 

「最後は何も食べられなくなっていた母親にとっていちばんの栄養は桔平の笑顔。顔を見せることがいちばん元気づけられる方法やと思ったんでしょう。桔平は多忙のなか片道5時間近くかけて、よく帰ってきてくれてたんです」

 

そして、約500日の闘病のすえ、最愛の母が旅立った――。

 

「危篤の一報を受け、桔平は名古屋から三重の病院までレンタカーで駆けつけてくれました。お父さんやお兄ちゃんも一緒に、みんなで最期を迎えたそうです。桔平には言葉にあらわせんぐらい、感謝の気持ちでいっぱいです。最後の最後まで、母親をよくみてあげてましたから。お母さんもきっと同じ気持ち。桔平に『ありがとう』と思いながら旅立ったんやと思います」

 

椎名が涙を隠して挑んだ『3年A組』最終回の平均視聴率は番組最高となる15.4%を記録。圧巻のフィナーレには、日本中が胸を打たれた。そんな愛息の勇姿を、天国の母は何よりも誇らしく思っていることだろう――。

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